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HSPを知ったことで、生きやすくなった

こんにちは、すぴかです。今日は読書記録ではありません。
私はおそらくHSPであるという実感があります。診断が下されるものではないので不明ですが、少なくともHSPの持つ特徴と似たものを有していると思います。
今日はちょっと自分語りをさせてください。
*HSP(highly sensitive person):非常に感受性が強く、敏感な性質を持つ人

HSPの特徴

HSPを提唱した心理学者エレイン・アーロン博士によると、HSPの人は以下の4つの特性を持つと言われています。

1深く処理する
2過剰に刺激を受けやすい
3感情反応が強く、共感力が高い
4ささいな刺激を察知する
(参照:『「繊細さん」の幸せリスト』武田友紀)

私の場合、このような性格が一致すると思われます。
1 ・軽い会話が苦手(哲学的思考に陥りがち)
2 ・情報量の多さに頭がパンクしがち
  ・人と会うと疲れる、超ロングスリーパー
  ・強い光が苦手
  ・自分が情緒不安定な時、他者の出す大きな音に敏感になる
    (うるさい声を聞くと怖気付く)
3 ・泣き虫
  ・ホラー系・暴力が強い系が苦手(心にトラウマとして残りがち)
4 ・小さな変化に気がつく
  ・相手の顔色をひどく窺う、気にしすぎる

強いて言えば3の部分が弱く、もしかしたら完全なHSPとは言えないかもしれないと思っています。
ですが、私がHSPという概念に出会ったことで、それまでの自分に対する考え方がガラリと変わったことは確かです。

自分は自称陰キャではなく、HSPに近い

今までは、以上の自分の性格を、「気にしすぎ」「陰キャ」「人見知り」「神経質」「臆病」といった言葉の枠にとどめていました。
どれもネガティブな言葉・概念です。
だから自分のこういう性格は克服すべきだと、今までずっと考えていました。自分がいけないと縛り付けることで、罪悪感が湧くという逆効果が生じているのにも気づかずに。

特に「陰キャ」という言葉が流行り出して、なかなか自分を正当化できずにいました。大人しくて、あまりワイワイせず、いつも周りの顔色を窺う私。客観的に見れば「陰キャ」なのだろう。「陽キャ」とは違うんだ。
でも自分は人と話すことが嫌いでも、常に苦手というわけでも無い。たまには騒ぎたいし、キラキラしたい気持ちも強い。
誰しも感じるような矛盾を、自分も抱えていました。

話は戻りますが、HSP、繊細さんを知った時、これは私にかなり近いなと思いました。それがおそらく1、2年前のこと。
そして今年、世間でもようやくHSPが広まるようになり、私はSNS等で多くの「HSPあるある」をみて、ようやく腑に落ちました。自分はきっとHSPに近いんだ、そしてそんな人はたくさんいるのかもしれない。

自分が思っていたより、社会には多くの自称「陰キャ」「人見知り」「神経質」さんがいるのだ。

HSPを知ったことで、自分の中の何かが変わったわけではないです。
でも、一番良かったことは、生きやすくなったことだと思います。
HSPの苦手なこと、あるいは得意なことを知り、「自分もそうだ」「そうか、弱点だと思っていたけど大したことじゃないな」とか、自己理解がぐんと高まったように思います。

混沌とした自分を何かにカテゴライズすることって、とても安心感があるのでは無いでしょうか。(話がそれています)
小さい頃にやった誕生日占い、血液型診断、名前占い…。自分の長所なり短所なりの特徴を、何かに起因させることによって、「この性格は自分のせいでは無いんだ」という小さな安心が生じるようにも思います。
沢山ある呼称・ラベルを自分に当てはめることは、自分が孤独な存在では無いこと、社会で認められる存在であることを確実にしているのかもしれません。

雑談ついでにもう一つ。社会学者上野千鶴子氏は、フェミニズム・女性学のあり方について、弱者である女性が弱者のまま尊重されるということをおっしゃています。(脱線しすぎで申し訳ないです)
私が負目を感じていた「会話が苦手」「人付き合いが苦手」な自分。そんな自分でも良い、むしろ弱いと思っている自分こそ自然である。HSPの考えはそう勇気づけてくれるように感じています。

「生きづらさ」は誰でも抱えるものだと思うけれど、そうそう口に出せる機会は少ないと思います。私は心の中で、悶々と考える時が多くありました。
noteを通じて、友達とかと雑談で話すよりも深く、自己中心的に、自分の内面を捉える機会はとても心地の良いものだと感じています。
独りよがりの長文ですが、読んでくださった方ありがとうございます。
次回は読書記録の方を進めていきたいです!








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