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ペルセフォネー&ハデス&冥府めぐり編|『アモールとプシュケー』あとがき


 今回は、地下世界についてのまとめです。まとめ・・・といいつつ、あれこれ書きたいことが多すぎて、まとまらないまとめです。

 今更ながらふと気づいたのですが、なかなかマニアックだと思うので、ご興味のない方は末尾の絵画ギャラリー《冥府ミニツアー》(?)に、目次から遷移して下さいね(◍•ᴗ•◍)✧*。



冥府&古代の死生観


 冥府は、いろんな詩人や神話の編纂者によって、様々な陰鬱さで描かれています。
 今回、冥府の情景は基本的に、ウェルギリウス(B.C.70-B.C.19・ローマ)『アエネーイス』(ローマ建国の祖アイネイアスの遍歴叙事詩)に拠っています。(ホメーロスの『オデュッセイア』も少し参考に。)
 ちなみにこのアイネイアスというのは、物語の中で触れた、アフロディーテとアンキセスの息子です。

 坂を埋める死者の百科事典的な区分は、おおむねそこから引きました。
 霊魂なのに、生前の肉体の姿をとどめているようです。

 また、人間の魂が冥府で生前の悪や煩悩から解放され、エリュシオン(極楽の野)に長くとどまったあと肉体を得て転生すること、その転生を繰り返したあと、最終的には天の精気みたいなものに還ること──これは、ギリシャ哲学の影響を受けつつも、ウェルギリウスが独自に抱いた来世観なのだそうです。(と、小川正広さんによる『アエネーイス』解説書(※)に書いてありましたが、古代ギリシャの密儀宗教であるオルフェウス教の教義っぽい感じもします🤔)
 冥府の空の色、魂の色は私の勝手な空想です(^^ゞ

(※)小川正広:ウェルギリウス『アエネーイス』 神話が語るヨーロッパ世界の原点(書物誕生-あたらしい古典入門-)


 ちなみに、冥府&エリュシオンは地下にあるとする説、西の方の陸地とする説、があります。
 地上の空も、冥府の空も、9日間落ち続けてやっと地表に着く、というふうに描写されていました(出典、忘れました💦)。この「9」という数字は「たくさん」を表していて、他にも、神々がステュクスにかけて誓った約定を破ると、「9年間」どこか狭いところに押し込められるという罰を受けることになっています。人間で言うと何年になるのでしょうね。




 冥府の時の流れが遅い、は私の案。浦島太郎的な...(笑)
 また、ペルセフォネー様が気の毒だったので。ちょっと辛抱したら、地上換算では結構な日にちが経っているほうが、マシかな? と・・・。


 プシュケーが女神になるにあたって、ハデスの許可が必要、としたのは私の独自設定です。本来はゼウスの専権事項。
 ただ、アレースが地上で戦争をおこすと死者が増えてハデスが喜ぶ(!)ため、このふたりは交友関係がある、とする神話があるので、そこからの推論。冥府の住人を増やしたい意向があるのなら、減る場合は事前承認が要りそうだ、と思ったわけです。

ナルキッソス、少年愛、プラトン『饗宴』


 水に映る自分に恋をしてしまうナルキッソス。《ナルシシズム》の語源となった青年です。彼については、オウィディウス『変身物語』で語られている内容を要約しました。ニンフのエーコーは省略しましたが、あとはほぼその通りです。あんなにいろんな人に想われるなんてうらやましい話ではありますが、誰にも応えない冷ややかさは神罰を受けるんですね・・・ちょっと気の毒な気もしますが。

 そうでした!
 古代ギリシャでは男性同士の恋愛は一般的です(そのわりに女性同士の恋愛はタブーでした・・・)。この背後にはある種のプラトニック思想が隠れていますので、少し説明しておこうと思います。↓以下、引用です↓

この時代には、少年愛と呼ばれる同性間の恋愛が一般に認められており、社会的にも重視されていました。年上の男性が庇護者となって若く美しく有能な少年や若者を愛し育てることは、才能の開花や社会の絆を強める役割があったからです。(P.75)

古代ギリシアの社会では男性同士の愛、とりわけ年上の男性から少年への愛はひろく認められていましたが、それは、肉体関係をもったとしても結局はなに一つ生み出すことがない不毛なものでもありました。そのため、この恋愛関係は欠如という強烈な自覚を生み出し、かえって精神において高め合い、魂の出産(※)を促す傾向もあったのです。(P.140)

↑納富信留『プラトン哲学への旅─エロースとは何者か』


(※)プラトン『饗宴』において、エロース(愛)の働きとは、「肉体/魂が美の中で身ごもり、出産すること」。最狭義には男女の愛の交わりを指すのでしょうが、芸術作品を生み出すことも含まれています。自己に似たものを生み出すことによって、人生における強烈な飢餓感・欠如感を埋め合わせ、永遠や不滅への憧れを満たそうとすること、と説明されています。←さらに脱線しますが、私などがこれを読むとボードレールしか頭に浮かびません(^^ゞ「偉大とさえ言えるほどの現世への欠如感」と、どこかで評されていました。



 ですから、ナルキッソスが、人間の男女やニンフからの求愛をことごとくはねつけたときに、復讐の女神ネメシスに罰を乞うたのが男性だった・・・というのは、ただ愛情だけにとどまらず、少年愛システムが持っている自己の成長、社会参加への意志まで含めてナルキッソスが完全否定したということを、象徴的に意味しているのかもしれません。愛を含む他者との出会いは必然的に自己変容をもたらします。それを拒否するということは、過度の自己肯定であり、唯我独尊だったからこそ、変に重い罰を下された・・・と読むこともできそうです。


 ちなみに、この、"愛に冷淡な人間への罰"という主題は他でも見られます。そこで罰を与える神さまは、愛の神エロース。つまり、アモールです。

 ある男性が若い青年に恋をして、想いを伝えるものの拒絶され続けます。思い悩み絶望した男性は、せめて少しなりとも青年の心を動かしたいと願い、なんと、青年の家の戸口で首をつって死んでしまうのです。ところが冷淡な青年は、男性の遺体を冷たく一瞥し、顔をしかめて立ち去りました。そのあと、青年は公衆浴場で湯浴みをするのですが、湯船の真ん中に立つ巨大なエロース像が青年の上に倒れてきて、絶命します。だれかの愛には、愛で応えられない場合にも、少しは情けをかけましょう、という寓話でした。

 この節の締めくくりとして、一昨年のルーヴル美術館展@東京の、音声ガイドで耳にした一節を記しておきます。ダンテ『神曲』の世界なので、ギリシャ神話ではありませんが、恋愛つながりで・・・。それに、『神曲』には導師としてウェルギリウスが登場しますから(^^)/
 翻訳書5冊ほど当たってみましたが、完全一致するものはなかったので、たぶん展覧会オリジナル翻訳みたいです。

愛は高貴な心にたちまちのうちに点ずるもの
愛は愛される者が愛し返さぬことを許さぬもの
愛は私たちふたりを同じひとつの死へと導きました

フランチェスカのことば(ダンテ『神曲』地獄編)


ペルセフォネーとハデスの出会い



 ふたりのなれそめですが・・・。

 神話のおおもとには、アニミズム的な土着の民間信仰があるようです。
 デメテルが穀物と豊穣の女神、その娘ペルセフォネーは種子。
 ハデスは冥府の王。または鉱物や資源などを隠した大地の象徴、富める者。
 種は、言わば一度死んでから大地に養われて芽生えてくるもの。ですので、ゼウスとしては、ハデスの妻にふさわしい乙女はペルセフォネーしかいないと思っていた。ゼウスの黙許によって、ハデスがペルセフォネーを略奪した、という経緯です。


 原初神ガイア(地)が、このために特別に作った美しい水仙(死の花と呼ばれます)に、ペルセフォネーが見とれていると、大地を二つに割って不死の黒馬に乗ったハデスが現れる…というシーンは、映画みたいですね。

 別伝では、アフロディーテの命令により、アモールが放った矢によって、ハデスが恋に落ちたということになっています。


 いずれにせよ、ハデスがペルセフォネーに恋をしたことは確かなのですが、ペルセフォネーはハデスを想っていたわけではなく、一方的にさらわれて妻にされ、騙されて柘榴を食べて冥府から離れられない身となってしまった……パターンしか、今のところ見かけません。


 現在語られるペルセフォネー神話として最もメジャーなのが『ホメーロス風諸神讃歌』の「デーメーテール讚歌」。それによると、ペルセフォネー自身の言葉として、以下のような記述があります。要約です。

 冥府もハデスもとにかくたまらなくイヤで、さらわれたときは絶叫したのに誰も助けてくれなかった。見て見ぬふりを決め込んでいる神々全員に復讐を企んでいた。デメテルの嘆願を受けたゼウスが折れて、ペルセフォネーは地上に戻れることになった。冥府に使いとしてやってきたヘルメスからそのことを聞いた瞬間、歓喜してベッドから飛び起きたところを、薄笑いを浮かべたハデスに柘榴を無理やり口に押し込まれた……と。


 ハデスのこと、そんなに嫌いだったのね...しかも、ハデスがひどい人すぎます……💦

 おそらくは、女性の立場の低さを反映して、の神話だとは思います。

 でも、それだとあまりにもペルセフォネーが気の毒すぎるので、ギリギリの救済策として、ペルセフォネーも恋の矢を受けていた…というなりゆきにしましたが。

 別伝で、「冥府においでのペルセフォネー様は、悲しげではあっても納得のお顔をなさっていました」との目撃情報もありましたし。


 物語の中でも触れましたが、本来の神話によると、ペルセフォネーは、一年のうち4か月(6か月/8か月など諸説あり)を冥府で、残りは神々のもとで暮らせることになったのです。ですが、他の伝承で、"いまはペルセフォネーは天上界に戻っているため不在です"と語られているものがなさそう(今のところ見かけないし、古い時代だと、詩人は二人揃ったところを書きたがるものです)なので、実は一年中冥府にいる?説を打ち立ててみました。
 だって、かりそめにも冥府の女王と呼ばれるひとが「4か月やり過ごしたから、今日から8か月地上に帰りますわ♡」では、やはりおかしいと思うの。ハデスが8か月、空の玉座を横に職務を淡々とこなしている図も、なんだか格好がつきません。


 参考までに付け加えると、ペルセフォネーは上述のように、ものの芽の芽吹く春と、ものみな眠る冬の循環の象徴であるとともに、満ち欠けする月も、新月になると姿を隠しますから、それも彼女の象徴とされていたようです。この考えは古代ギリシャでもかなり後年になってからのもので、アルテミス・ヘカテー・ペルセフォネーを三位一体とする、傍流の見方ではあるそうです。

ペルセフォネー


 処女の誓いを立てたいと考えていたらしく、その動機は(例によって)明示されていません。おそらく、彼女は《種子》であり、まだ性分化していないものの象徴だから、《乙女・処女コレー》と呼ばれたし、処女性の人、だったということなのでしょう。

 沖田瑞穂さんの著書に、処女神ヘスティア(炉の女神、家庭、国家を守る神。国家の重要な会議はヘスティア神殿の炉の前で行われた。)の属性について述べられていました。その説を援用し、《男性と女性の中間、大人と子どもの中間に位置し、それらを仲介する者》としました。


 ペルセフォネーというひとに託したかったのは、《弔い》や《鎮魂》のなかの《愛》です。
 パンデミックや戦火など世のニュースを聞くにつけ、多くの人が被害者に共感しすぎるあまり、精神状態を悪くしかねないリスクがあると、精神科医などが警鐘を鳴らしています。私たちが生きていく上で、地球上のあらゆることに対して、無関心・無責任であってはいけないけれど、全部背負うと必ずやつぶれてしまいます。そこで、人間は宗教を生み出して、自分の力を越える部分については《神に預ける》ことをし始めたのかもしれません。祈って何になるの、という自家撞着もありつつ、やはり祈りとは自己の方向付けだと思うので──ペルセフォネーというひとに、服喪を預けたいという私のひそかな願いを託しました。


ハデス



 ハデスは冥府の王で、お仕事は何? と言われると、イマイチはっきりわかりません。例によって詩人によっていろいろで、裁きを下す王だったり、いや裁くのは部下のミノスだ、とも。基本的には、最高意志決定者かつ象徴的な意味での王様、と理解しています。


 また、人々はあまり表立ってハデスを語らず、現世御利益志向のギリシャ人にとってはメリットが感じられなかったためなのか、神殿がほとんどないそうです。ですが、来世の優位を約束する密儀宗教・オルフェウス教においては、ハデス、ペルセフォネー、そしてふたりの間の息子であるザグレウスの転生した姿であるディオニュソス、を祀っていました。(そうなると、主要な神格であるペルセフォネーは、ますます冥府に常駐する必要がありますね。)

 なお、ザグレウスは殺害された・・・というか不死なので死なないのかな? ディオニュソスとなった顛末(そのため父はゼウスとも言われる)があまりにも無惨なので、今回は取り上げませんでした。もしそのまま生きていたら、クールなザグレウスとふんわりしたヘードネーちゃん、お似合いの恋人になりそうですね?(^∇^)


 今回、ハデスに背負ってもらった役割は、人間にとって絶対的に公平である唯一の事柄、つまり「人間は誰しも死を逃れられない」という一点に尽きます。


 ハデスとは別にタナトスという神(死そのものの概念化、冷酷非情)もいて、タナトス=ハデスと捉える人々も当時多かったことから、なんとなく自然にタナトスを含めたハデスとなりました。ちなみに、ヒュプノスという眠りの神もいて(人間に与える最後の眠り=死)、こちらは穏やかな性格。それも混ざっていると思います。タナトスっぽい外見とヒュプノスっぽい声という棲み分けです。

 なお、タナトスは人間(凡人)を冥府に連れて行く神で、英雄はヘルメスが担当するそうです。そういった英雄たちは、あまり転生をせず、早めにエリュシオンに行ける……ということかと思います(いろんな記述があって💦)。ちなみに、アフロディーテの一夜の恋人アンキセス(二人の間に、ローマ建国の祖アイネイアスが生まれています)は、転生せずに初めからエリュシオンに行ったことが、ウェルギリウス『アエネーイス』に描かれています。


 人間が死ぬと冥府に行くことになっていますが、きちんと埋葬されないと冥府に入れないそうです。つまりハデスは、人間に死者を弔うことを教えた神、ということになるそうです。他にも、人身御供の少女らを憐れんで彗星に変えたという逸話もあり、意外に情に厚いところもあったみたい。


 ちなみに、人類史の話になりますが、ネアンデルタール人(40万?年前〜4万年前)もすでに花をそえて死者を埋葬していたそうなので(大城道則編『死者はどこへいくのか』p.10)、ハデスってそんな頃から冥府の王をやってたのね...まあ、ギリシャ神話も神話らしく世界創世から語りますから、そんなものか...ペルセフォネーと夫婦になってすれ違った後、ひょっとして何百年、何千年、いや何万年も経った...?? な-んて、神話と人類学を混ぜちゃダメというお話でした。そういえば創世から携わっていたのなら、神々はティラノサウルスもリアルに見たわけね(^^)

 それにしても、世界各地の神話で人間を創造している神々ですが、進化の過程で、小さいけれど決定的な作用を加えた、みたいなことなら、SF的には充分あり得そう。「直立二足歩行せよ〰」との神託をのたまったとかね(◔‿◔)♡

 そういえば最近テレビで放送していましたが、人間に発情期がなく、一年中愛しあえる理由として、進化生物学的には、こんな説明がつけられるそうです。
 直立二足歩行をするようになった→産道が狭くなった→より未熟なサイズで出産せざるを得ない→生後に手がかかる→男女で養う必要がでてきた→男女の絆としてのmake love ・・・ということで、エロース/クピード/アモールも一役買っていそうですね(^^)

 なお、ハデスは背が高くてわりと鍛えていて強そうなひと、としておきました。かなり推敲が進んだ頃に書き足したのですが。私の中ではハデスは男神の中で最も《詩人》な人なので、初めは、細身なのかな? 冥府は暗いからもやし的な・・・? と勝手に思っていたのですが、それではおかしいだろうと。
 ひとつには、ティターン大戦ティタノマキアの折にほかの神々と共に活躍したことから。もうひとつには、冥府の王なのにひ弱だとさすがに務まらないだろうと思ってのことです。たまに、《冥府破り》みたいなことをしにくる不埒な人間もいますから・・・・・・ペルセフォネーを奪いに来て失敗した英雄なんかもいたようです。




絵画 de ちょこっと冥府めぐりツアー



 あまりたくさんは探せていませんが、冥府を描いた絵と写真を集めました。
 検索してみると、オルフェウスとエウリュディケを描いた絵が多いですね。


 なお、1枚目・2枚目が、冥府をゆくプシュケーです。
 5枚目は写真。『石榴のかおり』というタイトルからも類推されますが、国立肖像画博物館🇺🇸サイトに、ペルセフォネーと関連付けた注釈が載っています。

Eugène Ernest Hillemacher: Psyché aux enfers (Psyche in Hell)  
(1865)


Evariste Vital Luminais: Psyché (1886)
Jean Raoux: Orpheus and Eurydice (1709)
J. Paul Getty Museum



François Perrier : Orpheus in front of Pluto and Proserpine (1647-50)


Zaida Ben-Yusuf : The Odor of Pomegranates (platinum print) (1899)
National Portrait Gallery🇺🇸


François de NOMÉ:  Hell (1622)


Roelant Savery : Orpheus in the Underworld (1610-15)


Jean-Baptiste Camille Corot: Orpheus Leading Eurydice from the Underworld (1861)


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