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お洒落な人は服が少ない

 衣服とは、いったい何でしょうか。

 暑さ、寒さをしのぎ快適に過ごすために必要なもの。はたまた、コンプレックスを隠し、補い、なりたい姿にしてくれる布。

 つまりは道具です。掃除道具やキッチン用品と変わらない、使うための道具なのだと、ミニマリストな私は考えています(TPOに合わせるという社会的側面は、今回は触れません。他人のためではなく、自分のために心地よく暮らすことについて書いていこうと考えています)。

 服をただの道具だとすると、用途ごとにひとつだけあれば十分と考えることが出来ます。ものの数を減らしていきたいミニマリストには、この思考法は有効です。

 また、服の着数が減るということは、ものの数を減らせるというだけでなく、ひとつひとつを使いこなせるようになる、ということでもあります。

 服をしっかり使いこなすことができる。それは、自分に合った衣服を毎日身にまとうことができるということで、つまり常に心地よく、素敵な自分でいられるということです。さらに、少ない着数でそれが達成できるのであれば、(ミニマリストがいうところの)コストパフォーマンスよく服を着ることができるともいえるでしょう。

 これらは、少ない服で暮らすメリットと言えます。


 近年、少数の服だけで暮らす利点として、『お洒落になれる』ということに注目が集まっているように感じることが増えてきました。そこで本日は、ミニマリストには縁遠いお洒落に関するメリットについて、ファッション好きなミニマリストの私が、これまでの経験を踏まえて考察していきます。

「ミニマリズムに興味はあるけど、ファッションも好きで洋服を手放せない自分には無理なのかな」

「お洒落になりたいけれど、洋服をぜんぜん持ってないから無理だよね」

と悩んでいる方の参考になれば幸いです。服が少ないミニマリストだからこそお洒落になれる理由を、一緒に見ていきましょう。


妥協せずに服を着る

 ぜひ一度、ご自身の持っている洋服を断捨離してみてください。するとどうなるのか。まず、被服費が劇的に減ります。しかしそれは、ただ単に買う着数が減るから、というだけではありません。

 クローゼットに山のように洋服が入っていたら、どうなるでしょう。コーディネート数はねずみ算のように増えていき、それに比例して服に合わせるアイテムも増えていきます。個性的な洋服を持っていれば、それに合わせるためにと新しく服やアクセサリーを買い足すこともあるでしょう。そうして買い足した服に合わせるためにと新たな購買に進む様子は、まさに負のスパイラル。自転車操業や火の車と表現してもいいかもしれません。

 つまり、たくさんの服を所有するということは、服を買う一次的コストだけでなく、二次的なコストも発生するということです。

 では、服の数を少なくしたらどうでしょう。コーディネートは簡単ですし、合わせるアイテムも固定化されて、無駄な買い足しは発生しません。せっかく断捨離して整えたんだからと、新しく洋服を買うことも減っていくはずです。一次的コストも抑えられ、所有によって生じる二次的なコストも抑えることができます

 他にも服の所有で発生するコストはありますが、皆さんは普段の暮らしの中でどのくらい意識されているでしょうか?

  • 広い収納のある部屋で暮らす(高い家賃)

  • 素材によって洗剤を使い分ける(かさむ洗剤代)

  • ハンガーや収納ケースを買い足す(保管するための費用)

  • クリーニングやブラッシング(手入れの費用、労力)

 ひとつひとつが積み重なると、結構な出費になりますよね。特に家賃のような固定費は、積み重ねると膨大な金額になります。

 もし服が少なければ、これらの出費は抑えることが出来ます。狭い部屋の建付け収納に洋服は全て収まりますし、洗剤やハンガーも最小限で済みます。コートなどはクリーニングに出さず、代わりに毎回着た後に丁寧にブラッシングと点検をして、広々としたクローゼットにゆったりと掛けてあげる。


 ここで皆さんに誤解していただきたくないのですが、私は「ミニマリストになるとお金が貯まるぜひゃっは~」と伝えたいわけではないのです。

・・・え?

 確かに金銭的にゆとりはできますが、それは過程に過ぎず、価値はその先にあります。わたしがここでお伝えしたいのは、『ミニマリストがお洒落になれる』と考える理由です。

 これまで長々とコストについて書いてきたのは、『使えるお金が増えれば、買い物を妥協しなくてよくなり、本当に欲しい服だけ買うことができるようになる』とお伝えしたかったからです。これが、洋服が少ないとお洒落になれると考える、ひとつ目の根拠です。

 少ない服で暮らすことで、服を買わなくなり、収納や手入れにお金がかからなくなる。そうすると、これまで使っていた分のお金が自然と溜まっていくはずです。毎月なにかしら服を買う生活から、半年に一度だけ服を買う生活に変われば、一着にかけられるお金も潤沢になります。

 「素敵だし自分にぴったりだ。値は張るがその価値はある」と、葛藤することなく選ぶことができる。

 「別に10万円のブランド品も買えるけど、この1000円の服が気に入った」と、幅広い選択肢の中から、自分の審美眼にかなうものを手に入れることができる。

 このように、金銭的な制限なく、自由に、自分に似合うと思った服だけを着ることができるようになるのです。たくさんの『妥協してなんとなく買った服』に囲まれて暮らすより、楽しく、どこか肩の荷が下りたような軽やかさを感じられる、素敵な洋服との付き合い方です。ミニマリストになってから、この心地よさを感じるようになりました。

 皆さんは、衣服とどう付き合っていきたいですか?

余白で己を磨く

 服が少なくなれば、それとは逆に時間が増えます。これまで浪費していた時間を取り戻す、と言った方が分かりやすいでしょうか。

 まず、服が少なければコーディネートの時間が短縮できます。服が少ないということは、着る服の選択肢がないのと同義です。気温、天気、TPOや流行などに左右されず、鏡の前であれこれとコーディネートに悩む時間が消失します。だって悩むほど服がないのですから。

 また、服が少ないということは、それらの管理に時間がかからなくなります。服が少なくなれば、相対的に手入れが必要な着数も少なくなります。季節ごとの衣更えやクローゼットの整理なんていう『概念』自体が消えたミニマリストさんもいらっしゃいますね。服の管理においても、時間が大幅に節約できるのです。

 さらに、持っている服が少なければ、ショッピングにかける時間も減っていきます。さきほど、「服の数が多ければ合わせるアイテムも増えていく」と私は書きました。それとは逆に、もしあなたのクローゼットの中にあるのがお気に入りの数着だけであれば、新たに服やアイテムを買い足すことはありません。買い物やネットサーフィンをすることも減るでしょうし、「あれを買おうか、いやあっちを買おうか。そもそも買わない方が…」なんて悩むこともなくなります。買い物をしなくなることで、それにかかる時間も削ることができますよね。


 さきほどのお金の話と同様に、時間の余裕が生まれることは過程に過ぎず、メリットはこの時間によって生じたものになります。どんなものをイメージされますか?

 この忙しい現代社会では、多重課題に忙殺されてファッションを楽しむ余裕がない人も多くいらっしゃいます。

 しかし、もし時間にゆとりができれば、仕事帰りにのんびり歩いて寄り道したり、お出掛け前にちょっとのんびりお茶をするなんてこともできちゃいますよね。好きな服を着て出掛け、ガラスに映った自分にうっとりして立ち止まるお気に入りの靴で、いつもより遠くの方まで歩いてみる。そんな単純で、個人的な楽しみを確保できることが、洋服を減らし時間の余白を生むメリットの1つといえますよね。

 ところで、一流のアスリートやアーティストの中には、集中力を高めるために様々な工夫、ルーチンを取り入れている方がいらっしゃることは、皆さんご存じでしょうか。

 朝目覚めて、いえ、前日の寝る前から本番に臨むまでの間に、様々な『儀式』とでも呼ぶべき工程を経ることで、彼らは最高のパフォーマンスを発揮して、我々を感動させるような活躍をしているのです。

 わたしは冒頭に、「衣服とは道具であり、使いこなすことが大切」だと書いた気がします。そんな私は、お洒落に関して『自分史上』最高のパフォーマンスを、最小限の時間で発揮している自信があります(『自分史上』とは、誤解を避けるための蛇足であり、逃げの方便であります・・・)。
 
 ハンガーにかかった服を選ぶ時間はたった数秒。その時間で十分なのは、自分に似合う素敵な服しかないことを知っているからです。一流アスリートが最高のパフォーマンスをするために何時間もかけるのと比べると、私のお洒落はコスパがいいのです。

お気に入りのコート

 話を戻しましょう。少ない服で暮らすことで時間の余裕が生まれ、その時間がお洒落に繋がる、というところまで書いてきた気がします。

 ここで私がお伝えしたい『お洒落』とは、服装だけを指す言葉ではありません。

 身だしなみ、という言葉がありますよね。爪や肌、髪の毛といった目に見える表面上のものから、立ち居振る舞い、食事の仕方、言葉遣いなど、その人を構成するいわば内面がにじみ出たもの。これらの要素が文字通り表裏一体となった身だしなみは、お洒落にも重要ですよね。知識と教養の高さでも知られるお笑い芸人のカズレーザーさんは、「言葉遣いは無料でできるオシャレ」とおっしゃっています。まさにその通りですが、買ったらすぐに着られる衣服と違い、言葉遣いをはじめとした身だしなみは、一朝一夕では身に付きません。

 しかし我々には、衣服を少ししか持たないことで生み出した時間がありますれば、自分磨きに精を出すことも出来ます。

 お洒落は一日にして成らず、とも言います。服装だけのハリボテお洒落では、どこか説得力がありません。せっかく見つけたお気に入りの洋服を使いこなすためには、爪を短く切ったり、しっかり眠って肌つやを整えたり、運動をして体を引き締めたりと、とにかく時間をかけて『理想の自分』を作り上げていく必要があります。ライバルがたくさんの服に時間をとられている間に、あなたは空いた時間で己を磨き、身だしなみを整えている。どちらがお洒落になれるかは、一目瞭然です。

 服を減らすことは時間の余白に繋がり、その余白で自分を磨き上げることがお洒落に繋がるのです。

スタイルの確立

 ここまでつらつら書いてきたことをいったんまとめますと、お金にゆとりができることで妥協なく服を選ぶことができ、時間にゆとりができることで身だしなみが整い、結果としてお洒落になることができる。ひいては、服を着ること自体を楽しむことが出来る。これが、少ない洋服で暮らすメリットだといえます。

 そして、洋服が少ないからこそお洒落になれる理由が、もうひとつあります。服が少ないほどお洒落に近づけると私が考える最後にして最大の根拠は、センスがなくても、ファッションに興味がなくても、スタイルの確立ができるからです。

 さきほど列挙した、お金や時間に関するメリットのどれかひとつでも実感することができれば、「服少なすぎない?いつも同じ服なんてつまらないんじゃない?」という一般的な意見に惑わされることなく、少ない衣服で暮らすことができるでしょう。

 そうやっていつも同じ服装で過ごしていると、ディティールへの感度が高まっていきます

 どういうことかと言いますと、継続することでささいな変化も感じ取り、それを楽しめるようになる、ということです。わたしの実体験をひとつ紹介いたしましょう。数年着続けているシャツがあるのですが、新品だった時より、少しくたびれてきた今の方が、お洒落に着こなせるようになってきたんですよね。

お気に入りのリネンシャツ

 「このシャツは腕まくりすると格好いい」
 「腕まくりは肘近くまでやると爽やかだな」
 「控えめに手首が見える程度にまくると色っぽくなるのか」

 このように、ほんのわずかな微差に気付けるということは、あくまで自分のスタイルに関してですが、読解力が増したといえますよね。流行りの言葉で表すなら、ファッションリテラシーの向上とでも呼びましょうか。こうして自分のスタイルを微調整していけば、気付かぬうちにお洒落になってしまいます

 また、時間が経てば、服の傷みなどで服を買い替えることもありますよね。同じ服を着て、ひとつのファッションスタイルを貫いていても、生身の体と一緒で服も新陳代謝があってしかるべきです。そしてその時、以前とまったく同じ服を買うことはないはずです。きっと、それまでの経験から備わった審美眼で、今の自分に似合うものに買い替えていくはずです。川底の石が長い年月をかけて少しずつ滑らかになるように、あなたのファッションは洗練されていきます。一見いつもと同じで変わり映えしない服装でも、生地やサイズ感などのディティールにこだわった、その人に一番似合う、お気に入りの最強スタイルが完成するのです。

 この、スタイルを確立しやすいという点こそ、私がミニマリストこそお洒落だと考える理由です。

ミニマリストとファッションについて語る時には必ずと言っていいほど、アップル創業者のスティーブジョブズ氏の服装(イッセイミヤケのタートルネック、リーバイスのデニム、ニューバランスのスニーカー)が取り上げられますよね。洗練されて素敵だなと思う一方、あそこまでストイックにするより、ファッションとしてゆるく楽しむのが私は好きです。

結び

 ここまで、お洒落だのスタイルだのと、きゃんきゃんわめいてきました。しかし、冒頭に述べたように、服は着ることを楽しんでなんぼです。『お洒落する』ことも、服という道具を楽しんで使う手段のひとつに過ぎません。嬉しい、楽しい、ワクワクするといった感情を持てることが肝要であって、そんな暮らしをおすすめしたいのです。お洒落になることがゴールではないのですから。

 お洒落と同じように、お金や時間もそれ自体に価値はなく、それらと交換して得られるものに価値があります。所有欲や見栄、節約といった理由で服を買うのではなく、「これを着ると楽しく過ごせる」という価値を生み出すために服を買い、楽しんで着る。これが大切で、ミニマリストはそれを実行しやすいのではないか。これが、今回の要旨となります。

 皆さんの暮らしが、よりいっそう素敵なものになりますように。

 
 おわり

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