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音楽はオワコンだ。

10年前くらいから何となく思っていたのが音楽はオワコンかということ。じゃあなんでそんなことを考えるようになったか?

好きで聴く音楽がなくなった
感受性豊かな若いときはそれこそずっと同じ曲をリピートして聴いていたが今はそんなことはない。だいたいやっていることもパターンが分かったような気になっている。はいはい、はいはい、うるさいなーみたいな。要するにすごい上手な人は多いけど個性がないとかかな。そんで個性はあってもソウルがないとか。さらには個性やソウルがあってもテクがないとか。堂々巡りだけど。

新しい音楽を探して聴くのが面倒くさい
昔はそれこそ図書館のレコードを全部聴いたり新宿や渋谷に行って探したりしてたが今はサブスクさえやってない。わざわざ聴くのが面倒くさい。探す以上に新しい音楽を聴くということ自体が面倒くさい。体力的なものかな?それか難聴を患ったからかもしれない。音楽は若者の文化であると思う。

同時代に有名人がいない
それこそ昔はマイケルジャクソンがいてコンサートに行ったりもした。今はそういったずば抜けた人がいない。ただ決して昔は良かったと言っているわけではない。昔もどうしょうもない音楽の方が多かったと思う。これも探すのが面倒くさい問題かもしれない。

音楽的な閉塞感
80sは洋楽も邦楽も一段落してワールドミュージックでも聴きましょうという流れもあった。解放感というものだろうか。WAVEというCDショップにワールドミュージックが幅を利かせていた。他にもでかいCDショップがたくさんあった。バブリーな時代だ。今は自国のローカルな音楽を中心に音楽界は回ってるみたいだ。地産地消というのかな。それも良いけど閉塞感もある気がする。

音楽ビジネスの音楽を聴くのがつらい
古今東西の音楽ビジネスの配下で作られた音楽を聴くのが生理的につらいということ。キラキラした感じが生理的につらい。特に自分が若かった80sにかけての音楽を聴くのがつらい。自己否定である。80sの音楽なんて中学生くらいで聴くのは良かったが今は全然だめ。
さらには今現状なんてコンピューターのソフトで何でもできるという。そんなの音楽じゃないだろう。
なので逆に40年代や50年代のアメリカの音楽はいいかなと思っている。あとクラシックとか。シンプルなプロデュースやライブ指向の方が良い。オケも歌も一発撮りがいい。。。のだろうか?

音楽だけよりもYOUTUBEで映像を見たい
昔はネットなんかなかった。さらにはアーティストの写真とかもない。あったにはあったんだろうけど一般市民には出回らない。アーティストがどんな顔なのかもよくわからない。アーティストの見分けもつかない。今ならグーグルで検索すればいい。そのくらい何も情報がなかった。なので頑張って音楽だけを聴いた。でも今は音楽よりもYOUTUBEの方が楽しい。すごい贅沢になってしまった。

音楽よりも他ジャンルの方がいい
音楽よりも他コンテンツの方が充実しているような気がしてきた。例えばお笑い芸人とかになるのかな。なぜかわからないけど。

聴く価値のないような音楽ばかりという幻想
これは絶対間違っていると思うけど個人的にこういった幻想を抱いている。もう音楽界には何も残されていないのではないかと勝手に思っている。

スーパーヒーローよりも地域密着型でタコツボ状態
マイケルジャクソンみたいな世界的な音楽家よりも地域で活動している音楽家やアイドルの方が身近に感じられて良いがクソみたいな音楽だ。もちろん興味ない。

特に強制的に聴くことはなかろう。でもこれを書いている今も音楽流してるんだけどね。古いアメリカのブルースのコンピの。

おしマイケル。

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