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会議の歴史を考える

どうやら女性が会議に出席しているとその会議は長くなるらしい。個人的にはどうでもいいのだが、ワイドショーがすごい。コロナの対策がある程度うまく行っているのでいじるねたがないのだろうか。「わきまえる」とか「わきまえない」とかなんとか言っている。

それでは本当に女性が出席していると会議は長くなるのだろうか?やはり歴史的に考察してみたい。

まず会議とは何かだ。ただ話しているだけではなく仕事の話をする場だろう。シャンシャンの会議、しっかりした方向性を決める会議。いろいろあるけどまあ仕事だ。

それでは人類初の会議とは何だろうか?これはほぼ間違いなくゾウやクジラなどの大型の動物を狩猟するときに作戦を立てたことだろう。たぶん女性は後方支援となることだろう。なのでクジラをつかまえて陸にあげたら手際よくさばく係だ。そこで輪切りにするとか三枚におろすとかはここでの問題ではないだろう。なにせ男どもはクジラと命をかけて戦わないといけない。なのでそういった話を女が言い始めたら長老は注意してもいいと思う。

またはこれも想像だが古代の宗教的儀式の会議もあったことだろう。そのときの長老は女に生贄になれと言うに違いない。そうすると女も会議に出席していたかもしれない。まあ出席してないかもしれないが。そのとき女はどう振る舞ったのだろうか?わきまえない女はきっと長老に対して「お前が生贄になれよ」、「お前がライオンに食われろよ」と言うに違いない。そうすると長老は考えるだろう。「会議が長くなるな」と。

つまり何が言いたいかというとこういった古代の宗教儀式と現在のオリンピックの考え方はだいたい同じということだ。オリンピックは宗教儀式だったのかもしれない。そんで日本は科学技術は発展しているけど風習は古代と同じレベルだということになる。

おしマイケル。


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