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ラテン音楽とは何か?ハードサルサのエディーパルミエリ

ハードロックというジャンルがある。ハードバップというジャンルもある。ということはハードサルサというジャンルがあってもいいだろうということだ。

ハードサルサの生みの親はエディーパルミエリとされている。作曲家であり、キーボードプレイヤーだ。ちなみに兄貴のチャーリーパルミエリはエディーよりも卓越したキーボードプレイヤーだった。

先のソロがチャーリーで、後の方がエディーだ。なんとなくハードにラテンを演奏しているのがわかるだろう。リズムを延々と繰り返してアドリブする感じ。ジェームズブラウンのファンクをもっとノリノリにしたみたいな感じかな。

もともとエディーはプエルトリコからアメリカへの移民でカルジェイダーみたいな人とラテンジャズをやっていた。たぶんだが、お金稼げるラテンポピュラー音楽に転向した。バンド編成を試行錯誤してトロンボーンを2管にするという60年代のアメリカラテンバンドの型も作った。古めかしい3-2クラーベに代わってよりグルーヴのある2-3クラーベのノリを一般的にしたのもエディーかもしれない。

Bilongoというキューバラテンのスタンダードのカバーだ。ハードな気がするだろう。なんか面白動画だな。

同じ曲のキューバ人のブエナビスタソシアルクラブのコンパイセグンドの演奏。エディーのハードさが分かるだろう。まあアメリカラテンはキューバラテンからしたら全部ハードなんだけど。

そんで公民権運動時代にエディーが放った「山へ登ろう」はヒットして人気ミュージシャンの仲間入りをはたした。ボーカルのイズマエル・キンターナも一躍有名になる。

これが当時のアメリカラテンで大ヒットしたレコード。Live at Sing Sing。
アメリカでよくある刑務所でのライブ盤だ。塀の中に仲間がいたのでよく刑務所でライブをしていたのだとか。70年代ラテンの名ライブレコードだけど現在日本で手に入るのだろうか?

バーナードパーディーのようなファンク・ソウル系のミュージシャンとコラボしたハーレムリバードライブ。これはレアグルーヴのマストアイテムとなった。

そんでいろいろヒットさせてもお金がもらえなかったのでラテン老舗TICOレーベルを去って自分のラテンレーベルを立ち上げる。その後はラテン音楽でグラミーを取ったりと70年代ラテンをけん引する存在となった。

話はちょっとそれるが、これはエディーのバンドのボーカルのラーロ・ロドリゲス。この人がウィリーコロン(前に書いた)の妹をふったらコロンの妹が自殺してアメリカラテン界は騒然としたらしい。

話はもどって、エディーは確かつい最近もジャズのライブとかラテンのライブとかいろいろやっていた感じだ。まあ盛り上がるのはラテンの曲だけど。

来日してBLUENOTE東京とかでもライブをやっていた。もう80代後半なのではないかな?元気だ。

兄貴のチャーリーパルミエリについても何か書かないとまずいな。でも長くなったのでやめる。

おしマイケル。




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