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現代の徒然草、現代の兼好法師

書くことがないと内省的になったりメタ思考的になったりする。それをnoteに書く。これはどうも良くない傾向かなと思ったりする。一人相撲になって何を書いているのか分からないこともあるから。総論より各論、抽象よりも具体的に分かりやすくとか、例題を考えた方がいいとか。もう70日以上も連投しているので少し反省してもいいのではと思う。

だいたいnoteなんて言語のマスターベーションだ。それか魂の居酒屋、精神のカラオケスナックみたいなものか。誰か読者を想定しているわけではない。というか有名人ではなく凡人の書いた文章って基本的に好き好んで読んだりするものなのか?ツイッターだってちょっと長いともう読まないぞ。仕事のメールだって長いともう読まない傾向がある。

まあ今までいろいろと書いているがどれも特に裏付けがあるわけではない。頼りない記憶ベースで書いていることが多い。音楽、コロナ、下町、ホラー映画、、、適当に書いている。
マジで腑に落ちないことがあって、疑問に思ってググると現状が見えてきたりする。もちろんnoteを書いた後に。なぜググらないかというとネットを使いだすと長くなるからだ。時間的にもボリューム的にも長くなる。

ググりだすとまあキリがない。検索から始まってyoutubeを見て挙句の果てにエロ動画を見る。それにしてもなんでこんなにエロ動画がアップされているのか?これって全世界に向けて発信されているのだろうか。あり得なくないか?世界中の男のお世話をすることはないと思う。中国なんかの共産圏に自由主義と民主主義を教えるためだろうか?であれば中国との外交の切り札にAV女優を使えばよい。そろそろAV業界も著作権について声を上げた方がいいのでは?それか携帯キャリアからAV業界にお金を正式に払うかする。ああエロ本を拾ってた時代が懐かしい。

そんでインターネットの光と闇、インターネットは無用の長物みたいな話は随分あったような気がする。特に00年代までは。でも今は国を挙げてデジタル庁を作って発揚している。ツイッターなんかメディアで当たり前のように使っているし。今年無職にならなかったら個人的にはツイッターなんてやってなかったよ。

ほらこんな風に適当に書いてたら全然内容がない。徒然草だよ。徒然草は歴史的に価値はあるけど、今現代でそういった実存的な文章を書いても当たり前すぎて意味がない。

noteのネタっていろんなとこに情報リンクされてないか?

書くことがない。note生活が終わりを迎えているのかもしれない。

おしマイケル。

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