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私のクワロマンティック実践

「クワロマンティック」というセクシャリティと、「重要な他者」という概念との出会いについて書いた下記の記事を投稿してから丸2年が経つ。この2年の間に、これらの言葉をSNSで見かける機会が増えたように思う。

この間にパートナーができ、いろいろと考えたことがあるので備忘録として残したいと思う。なおクワロマンティックとは「自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断できない/しないセクシュアリティ」である(以下参照)。
クワ(クォイ)セクシュアルとは?【恋愛と友情の違いがわからない!】 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」

パートナーとして交際することになった人は「重要な他者」の一人で、以前の記事で書いたような私の人間関係に対する考え方について知ったうえで交際関係を提案してくれた。私はもともと強い好意を向けられることや愛情表現が苦手でうまく相手の気持ちに応えられないこともあった。それゆえに相手からしたら、普通の「恋愛」的な作法の通じなさに戸惑うこともあったと思うが、そのたびに対話して寄り添ってくれたことは本当にありがたかった。

1年以上交際が続く中で、遠く離れた場所で生活していて、それぞれのライフスタイルの変化やお互いの将来を考えると、この関係ではなく別の関係の方がよいのではないかという話になり、結果的には交際関係を解消することになった。なんとなく今後考えないといけなくなるだろうなとは思っていたことだった。ただ、これからもお互いの幸せを願い、良き理解者でいようという部分は双方で一致していて、話自体はすごくポジティブな感じで進んだ。
少しだけさみしさもあるが、逆にこれからが楽しみな面もある(もちろんさみしさも自分のものとして受け止めたい)。

先日久しぶりに電話で悩みを相談し合ったりくだらない話をした中で、「一緒に生きる」の「一緒」の中身は必ずしも物理的に一緒にいること(一緒に暮らすとか)だけでないかもしれないと思った。少し時間が経って改めて考えると、やはり名前がない関係性があってもいいし、ライフスタイルが変われば関係性も変わっていくもので、それは悪いことではないはず。
交際関係になる前から今までの過程の中で、お互いがかけがえのない存在になっていて、離れても良き理解者として引き続き助け合いたいと改めて思った。間違いなく私の人生を良い方向に変えてくれた人で、すごく感謝しているし、一生忘れないと思う。再び名前のない関係になるが確実にいい意味で前とはまた違う関係になれた。これからも続いていく人生の中で、互いの幸せを願い、互いを応援し合いながら「一緒に」生きていくという「クワロマンティック実践」ができたらいいなと思う。

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