ダメなものはダメ
やっとこ涼しくなって嬉しいジェニーです
そして眠い
寝ても寝ても眠い
頭痛がするほど眠い
本日、3日3晩干し終わった梅を瓶に詰めました
かわいい・・・
毎年思うけれど、もったいなくて食べられない・・・
って言っているうちに4年も経って、初めて作った梅干しはもう逆に怖くて食べられない・・・
まずくはないと思うけれど、最初の一口が怖い
保存食って言うけれど、産直で他さんの作った梅干しを食べながら、自家製の梅干しを毎年貯めるってどうなんだろ
とはいえ、かわいい観葉植物ちゃん二人とは今日お別れしました
還元茶とメビウスウォーターで、あるいは復活してくれるか!?と期待を込めてはみたものの
時すでに遅し
だったのか
多肉植物の子は、どんどんグミみたいに朽ちてしまい、ヤシの木みたいなのは乾いた牛蒡みたいになってしまい・・・
33度の室温よりも、私の見解として、居心地の悪い空気がそうさせたという結果だと思っている
まさに私の心を表してくれていた
ここ(実家)に住むのはもう限界
還元茶があろうが、活性化するメビウスウォーターがあろうが、「ありがとう」の言葉がけがあろうが、ここに居続けること自体がもう無理!
って
引越し確定している私の荷物をも減らし、身をもって教えてくれた植物に感謝しつつ、片付けも着々と進行中
改めて、私の部屋を見た時に、すごいモノが少ないと思えた
シンプルライフができている感覚があった
不要なもの、明確に分かっている自分が見えた
とはいえ、まだまだゴチャゴチャがあって、見て、触ってしまうと、判断できない
はっきりキッパリ「ノーニード」って言えない
だからまた戻すんだけれど、床の上に何もない空間を見てはウキってする
良いねーってなる
リビングとか、他の部屋見ると、家族のものが散乱してて、冷蔵庫も冷凍庫もギュウギュウになっていて、おえーってなる
だからあまり見ないように
淡々と
自分のものだけ見る
自分のことだけに集中する
「何食べたい?」
「何したい?」
「先にトイレ行く?」
「こんな家に住みたい」
「これほしい」
「猫、何しているかな?」
「空に雲あるかな?」
「風、気持ちいいなー」
「セージ焚こう」
「生き残った植物、前より元気だなー」
「今度、猫とどこ行こうかな?」
私はどうも継続が苦手で
いちいち感化されるから、ヨガでも宇宙理論でも身体にいいことも、「わっ、これサイコー!もっと知りたい!やりたい!」ってなるんだけれど、24時間続けられないから、合間でまた見て聞いて触れたものに感化され、以前のサイコーがフェードアウトしたりして、何かでまた触れて、「あっ、そうだった!」ってなることも多いのだけれど
ここ(実家)ではウンザリすることもあって、そこに引っ張られるからとにかく、辛い時こそ、思いっきり嘘笑顔で、口角上げて、笑うフリして、落ちないようにしている
私にとっての「コツコツ」
他には、眠りが浅くて、4時くらいの日の出くらいにトイレに起きて、そのまま瞑想をしている
気を下げる、丹田呼吸を「コツコツ」練習している
どこに向かえばいいか分からないから、まずは笑顔と呼吸を「コツコツ」する
前よりブレない自分になった
嫌なことがあっても、切り替えられるようになった
気分転換が上手になったから、意識がここ(実家)にいないから、気が楽
母に対して申し訳なく思う気持ちにも、重さがなくなった
他人はどうでもいい
まずは自分
愛する猫
自分と合う人々
自分の気分が上がる人、もの、場所
そこに「居る」
そこに自分を「置く」
そしたら、ぼーっと日がな空や橋や風に吹かれる緑や、飛び交う鳥たちを眺められる時間と場所と空間と、身体を今持てている自分を
「けっこーすごいじゃん」
って思うことができた
働いていたら、こんな風にしている時間も余裕もないかもだし、環境が違えばこんな景色も見られない
恵まれているんだなーって思えた
過去から未来に、じゃなくて、
未来から過去に流れる時間、だとしたら、
全てが書き換えられていく
あれがあったからこうなっている、じゃなくて、
ああなった私だから、こんな経験もしている、なのかも
他人事だと、繊細な人が成功したけれど、メンタルやられてって話で、だからこそ良いんだよって、成功しても、感覚を忘れていない、細かいことに気づけるセンサーを無くしていないって喜べるのに
自分事だと、途端に迷惑御免被りたくなる
気づくか、気づかないかの違い
ダメでも大丈夫
ではまた。
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