フジファブリック「赤黄色の金木犀」

「あはれ」について書こうと思ったとき。どういったものにあはれを感じるかなとおもって直感的にうかんだ曲がフジファブリックの「赤黄色の金木犀」でした。なんとなく夕日にカーとカラスが泣いて、じんと来るあの感情をこの曲にも感じたからです。

詩をあらためて注目しました。季節は晩夏が近づく頃。伝えられなかった思いを持った主人公が今年もまた夏が終わってしまう。あの日に言い残した言葉がうすらいではいくが、心には残りながらそのことが残りのざわざわした思いとともに夏が終わっていくのだろうという内容。

あの時言えなかった言葉とともに季節は巡っていく。プロセスが中断したまま時が過ぎていく。河合隼雄のいうところの「あはれ」という感情ではないでしょうか。

それと同時に、この曲の主人公はその感情を持ちながらも新たな季節へ動き出している。だから歌詞にもあるのように期待はずれなほど感傷的になりきれない。この主人公はまさに感情をおいておきながら行動することができる河合隼雄のいう『意思する女性』ではないのでしょうか。

(意思する女性については上記記事で紹介しています。)

さびの『赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって、』という歌詞があります。日本語を母語としない人には直感的にピンとはこないと思うのですが、日本人だとなんとなく美しいな、儚いなと思える。それは日本人が金木犀の匂いを知っていて、晩夏を想起させるからだと思います。このような表現に美しさを感じられることは、時折思う日本に生まれてよかったと思う理由の一つです。

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