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四旬節の黙想② 清いこころといつくしみ

「貞潔」の徳の真の意味について、Desert Stream Living Waters(砂漠から湧き出る生ける水)ミニストリー創立者のアンドリュー・コミスキーさんが6回にわたって指導する「貞潔といつくしみ」シリーズをご紹介します。6週間の四旬節(復活祭に向けた準備期間)に合わせた構成になっています。

第一回目はこちら↓

アンドリューさんは同性愛者でしたが、後に女性と結婚し、4人の子どもに恵まれました。牧師として元同性愛者たちのためのミニストリーを行っていましたが、2011年にカトリック教会に転会。以来、カトリック信徒として活動を続けています(以下、和訳。リンクは文末)。

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一致することで立ち上がる

アンドリュー・コミスキー
2016年2月15日

ヨハネによる福音書4章に登場するサマリアの女は、今日の多くのキリスト者を表しています。彼女は21世紀の教会の「予型」とも言えるでしょう。彼女のユダヤ人としての血統は、"清さ "を大切にするサマリアの伝統の基盤となり、彼女はそれを誇りに思っていました。しかしそれと同時に、彼女が受け継いだ伝統は、多くの神々を崇拝(しばしば不正な性行為を通して行われた)するカナンの民とユダヤ人との混血という歴史を起源としています。

「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています(25節‬)」と、信仰をもって話すこの女自身、多くの男性との”人間性を奪う”破綻した関係によって「内的に分裂」しています(18節)。

聖なるものと俗なるものとの間で内的に分裂しているサマリアの女とは、まさに、わたしたちのことです。わたしたちの”神への愛”は、性に関するわたしたちの決断に影響を与えないことのほうが多いようです――キリスト者の離婚率、同棲率、ポルノ使用率の高さについて、よくよく考えてみれば分かることでしょう(言うまでもなく、「ゲイ」や「トランスジェンダー」という生き方が、神の子どもたちにとって最善ではないということを、キリスト者が世にはっきりと示そうとしない現状も)。

わたしたちは「内的に分裂した人びと」なのです――人間性を奪う情欲の波に自分自身が飲み込まれていなかったとしても、少なくともわたしたちの愛する人びとのうちに、そのような状況にいる人がいることを痛感しています。神学者ヨゼフ・ピーパーの言葉を借りれば、わたしたちは「いのちを生み出す同じ力が、いのちを破壊する力を持っている」ことを目の当たりにしているのです。

わたしたちは、愛する人のためにより良いものを望み、わたしたち自身も、より良いものを望んでいます。魂をすり減らすだけの快楽の感覚に辟易しているわたしたちは、貞潔を求める準備ができている人びとだ、といってもいいでしょう。わたしたちの中の“何か”が、わたしたちが「完全性」のために、「内的統一」のために創造されたということを知っています。貞潔が意味するものは、わたしたちが「内的に統一された生活」を送ろうとしていることを意味します。貞潔の徳において、わたしたちは自分の中の「いのちや愛の力」(『カトリック教会のカテキズム』2338番)を、それらを最初にわたしたちに与えてくださった神に従わせようと努めます。創造主と一致することで、わたしたちは自分自身の「創造力を自制する」ことを習得し始めるのです。貞潔な人は「自己像をやみくもに追い求めるのではなく、目を開いて、神、自己、世界の真の現実に調和しようと努める」(ヨゼフ・ピーパー)のです。

わたしたちは現実を知ることができます! そして「性の領域における現実」は、他者にとっても善であり、正しく真理であるものと調和しています。わたしたちは性的な結びつきが、生涯にわたって結ばれている男女間にのみ属することを知っています。そして、この創造的な自己贈与(服で隠されているときも)が、神の、すべての人に対する呼びかけであることを知っているのです――これは、性愛に見られる「他者との結びつき」の実りある「表現」なのです。貞潔は、このような実りを損なういかなる行動も拒否し、「二重生活も表裏あることばも許容し(ません)」(2338番)。貞潔の徳は、現実に基づいて性的 "非現実 "の拘束力を識別し、それを拒否することで、他者の善のためにはっきりと行動することができます。そうすることで、私たち貞潔である者は、自分の尊厳を取り戻すことができるのです(2339番)。

「内的に分裂した」わたしたちを、全能のいつくしみをもってご覧になる神がいなければ、わたしたちがこの域まで到達することは不可能でしょう。イエスがサマリアの女と関わった時のように、神は、わたしたちがご自分に目を向けることを待っておられるのです。神は、わたしたちの性の最も「現実」であるものを見ておられ、神の霊(”生ける水”)はその現実を呼び覚まします。主の愛において、主はわたしたちに貞潔の徳を生きるという選択肢を与えてくださいます。そして、主の御こころ(わたしたちと他者に対する)を十全に現す生き方に参与するよう、神は招いておられるのです。この四旬節、わたしたちは主と一致することを選ぶでしょうか? そして「内的分裂」よりも「内的統一」によって、自分たちが"定義"されることを望むでしょうか?

祈り

父よ、内的に分裂した生活を送る、わたしたちのこの罪への傾きは、歴史、文化、そして教会にさえも織り込まれているように思います。いつくしみ深い主よ、憐れんでください。わたしたちの貞潔に関する見方を新しくしてください。「現実」に根ざした完全な(内的に統一した)人生をわたしたちが求め、生きることができるように――わたしたちをこれまで欺いてきた「非現実」に根ざすのではなく。わたしたちが非現実によって、完全に破滅に陥らなかったことをあなたに感謝します。わたしたちの愛する人たちが非現実によって破滅しないように、いつくしんでください。あなたの”分裂してしまった”被造物を憐れんでください。聖なる愛でわたしたちを一致させてください。貞潔を求めるわたしたちの声に、あなたの息を送ってください。わたしたちは分裂によって倒れてしまいましたが、一致することで立ち上がりたいと願います。

イエスよ、あなたに信頼します!

記事へのリンク: Chastity and Mercy 2: United We Stand - Desert Stream Living Waters

https://truthandlove.com/wp-content/uploads/2017/06/Chastity-and-Mercy-1_6.pdf

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