自分の目に映ったものを書く【きまぐれ日記】
12月4日(月)
古賀史健さんと田中泰延さんの対談記事を読んだ。
この部分を読んで「あぁそうか、そうやって書けばいいのか」と、ストンと腑に落ちた感覚がした。
同じようなことは今まで何度も聞いてきたはずだけど、なぜかこの記事を読んで急に理解できたのだ。
そうか。自分の目で見えたものを書けばいいのか。
今までわたしは何かと「感想」を重視しすぎていた気がする。
例えば本を読んだら「面白かった」、食べ物を食べたら「おいしかった」みたいに、感じたことを何かしらのわかりやすい言葉にするというか、きちんと言い換えないといけないと思っていたような気がする。うまく言えないけれど。
目の前にある「そのもの」に対してどう思うかにしか考えが及んでなかったし、今までは完全に「自分語り」しかできていなかった。
けど、自分の目に映ったものを、自分のフィルターを通して語るのであれば、「その対象物に接したことで自分に何が見えたのか」を語ればいい。対象物に接したときのことを、五感を駆使して書けばいい。
なんか全然うまく言葉にできないし今さらなのだけど、そんなふうに感じて納得した。
他の誰でもない、自分の世界で見て感じたことをそのまま書いていきたい。
12月6日(水)
「介護保険料払ってるのに、認定受けられないの?
それなら、払わなくてもいいわけ?」
そこそこの人出でざわついた、昼前の窓口。
目の前の高齢男性に問いかけられ、わたしは一瞬言葉に詰まった。
その男性は要介護認定の申請中。
しかし、リハビリを受けている医療機関から「認定を受けるとリハビリができなくなる」と言われ、どういうことかと市役所にやってきたのだった。
その医療機関の言う通り、医療機関でリハビリをしているときに介護認定を受けると、医療のリハビリが受けられなくなる。この2つは併用ができない。
認定を受けると、介護のリハビリが優先される。しかし、医療と介護ではリハビリの目的が異なる。医療は病気の治療、介護は機能の維持が目的。
そのため、医療のリハビリが必要な人が認定を受けてしまうと、介護が優先になり医療のリハビリが受けられなくなってしまうのだ。
病気の治療が終わって機能維持に移行するときならいいのだが、この男性の場合はまだその段階に至っていないようだった。
「大変申し訳ないのですが、医療保険と介護保険のリハビリは併用できないことになっておりまして……。」
「なんでそんなことになってるの? 納得いかないなあ」
それはそうだろう。そういう決まりになっている、といくら説明されても納得できないのは当たり前だ。けど、詳しく説明しようとするとかなり複雑な内容になる。
そして投げかけられたのが冒頭の言葉だ。
このリハビリの兼ね合いさえなければ、認定自体は今すぐに受けられる(非該当の可能性も0ではないけれど)。
けれど、「保険料を払っている=必ず認定を受けられる」というわけでもないし……。
かといって、払わなくていいということには、ならない。
でも、この男性の気持ちはもっともだ。
「介護保険は皆さまが納めてくださる保険料で成り立っておりますので」なんて綺麗ごとを言っても、男性は納得しないだろう。
けど、何て言ったらいいのだろう。頭をフル回転させて考えるが、言うべき言葉が見つからない。
結局その場では適切な言葉は見つからず、少しの綺麗ごとと「申し訳ないです、ほんとうに困りますよね」と共感するような言葉しか言えなかった。
その男性も心から納得したわけではなさそうだったけれど、「医療のリハビリが終わってからでも認定申請はできる」と話したり、介護のリハビリができる施設の一覧を一緒に見たりしたところ、「なるほどね」と少し理解を示してくれた。
幸い現時点ですぐに介護サービスを利用したいわけではないようだったので、今回の申請は一旦取り下げることになった。
「んじゃ、よろしく」と、片手を挙げて男性が窓口を後にする。
ときおり、こういう答えに窮する質問を受けることがある。
5年以上介護保険に携わっていても、うまく答えられないことも多い。
立場的にも、ボキャブラリー的にも、綺麗ごとしか言えないのがもどかしく感じることもある。
難しいことを易しく伝える、相手の気持ちに寄り添った対応ができるようになりたい。
(内容は個人情報保護のため、少し改変しています)
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