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『運命の女神が咲く』開催によせて 齋藤 レイ

 安田早苗の個展『運命の女神が咲く』がこの春に開催される。本展では過去作が一堂に会し、創作活動の中で作家の興味関心がどのように移ろってきたのか、その軌跡を辿ることができるだろう。

安田早苗「慈しみ」1988年

 最初期の作品『慈しみ』(1988年)は、新表現主義に影響を受け、油彩にビーズや布などの異素材を組み合わせた100号の大作である。オレンジ色に輝く象と少年が向かい合い、その中央には仏教の聖典「スッタニパータ」の引用、背景にはイスラム寺院の装飾が描かれており、ひとつの画面に複数の宗教観が混在している。90年代以降も精神世界の主題は続き、スペイン留学後の1994年には、メメント・モリ(=死を思え)をテーマとしたコラージュ作品『看板』シリーズの制作に着手する。夕暮れを思わせる紫色を基調として左耳とハサミが描かれた画面からは、かつて世界中のあらゆる地域で刑罰として行われていた耳切りのイメージが連想され、人類に共通の「死」の概念を寓意的に、かつ大胆に表現した作品と言える。

2023年 Trample on meの再制作とスペインのマヤ祭りを組み合わせた「女神」体験型作品

 90年代後半になると、表現の領域は平面から空間へと拡大し、1996年にはキュービックギャラリー大阪で、インスタレーション『Trample on me』を発表する。この作品は体験型となっており、床に敷き詰められた花を踏ませることで、鑑賞者に身体感覚とは異なる「痛み」を生じさせる意図がある。今作も、江戸時代の日本でキリシタンの弾圧を目的として行われていた踏み絵と同じ構造を持つことから、宗教や精神世界といった内的な概念をモチーフに制作されていることが窺える。当時の安田は、他者とのコミュニケーションをトリガーとして発生する、本能と理性の間に働きかけるような感覚を「揺れ」と名づけ、鑑賞者の内面に心理的な作用をもたらす作品作りに取り組んでいた。作家の自己完結ではなく、外へ外へと作品が持つエネルギーを拡散させていく手法は、2000年代以降のメールアートや自宅展、『種をまく』プロジェクトにも顕著に見られ、安田の表現形態として定着していく。

1995年On gallery(大阪)個展 Necrotopie3 観客から採取した指紋を展示
1997年自宅展展示作品 観客に安田について知っていることを書いてボックスに入れてもらう     くじ引きのように引くこともできる

 初期からのテーマであった内的世界や自然のモチーフに加え、2020年代に入ってからの安田は女性の権利や身体性をコンセプトに落とし込み、作品を制作・発表してきた。一昨年の「エコフェミニズム」、昨年の「魔女」に続く新たなテーマは「女神」である。今回の個展のメインヴィジュアルとなっているのは、花の写真を模写して描いた背景に、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリの肖像を重ねた『女神』シリーズである。グレタ・トゥーンベリといえば、世界各国の名だたる政治家に対しても臆することなく痛烈に批判し、自身の意見をはっきりと表明する姿勢から、どちらかといえば女神よりも魔女に近いパブリックイメージが浸透しているが、安田は地球温暖化から人類を救済する存在として彼女の姿を捉え直す。

2023年作 女神7

 では、そもそも女神とは一体何者なのだろうか?その答えを探る手がかりとして、リトアニアの考古学者マリヤ・ギンブタスの研究を参照したい。ギンブタスは1974年に発表、1982年に改訂版を出版した著書『古ヨーロッパの神々』(原題“The Goddesses and Gods of Old Europe”)において、紀元前4500年から2500年前に発生したインド=ヨーロッパ文化よりもさらに以前にヨーロッパ全域を覆っていた文化を〈古ヨーロッパ〉と名づけ、当時の人々が母権社会を築いていたことを主張している。そして、遺跡で発掘された小像や土器などに見られる造形を根拠に、古ヨーロッパ文明における人々の信仰の対象が女神であったことを繰り返し強調している。ギンブタスは著書の中で、当時の人々が崇めたと考えられる女神像について以下のように述べている。

 〈豊穣の女神〉や〈母神〉のイメージは一般に考えられているよりもはるかに複雑である。この神は、豊穣を司る〈母神〉や動物およびあらゆる野生の多産を統治する〈野獣の女王〉や威嚇的な〈恐るべき母〉に留まらない。それは農耕時代以前からいく重にも積み重ねられてきた神々の特性を合成した像(イメージ)なのである。彼女は農耕時代、本質的に〈再生の女神〉、〈月の女神〉となった。すなわち、これは女性的性質の祖型的な単一性と多様性とをともどもに帯びた定住的、母系的社会の産物なのだ。彼女は生命の賦与者にして豊穣を促す一切であると同時に、自然の破壊力を支配する神でもあった。その女性的性質は月のごとく明暗両相を兼ね備えている。

マリヤ・ギンブダス『古ヨーロッパの神々: 新装版』鶴岡真弓訳、言叢社、1998年

 ヨーロッパの古層に秘められていた原初の女神像とは、単に生命を育む豊穣のシンボルではなく、破壊と再生をも一手に引き受けた実に多面的な存在であったのだ。紀元前4500年から4000年前のバルカン半島では、死者を再生させる子宮の象徴として陰部に大きな三角形を刻みつけた女神像が墓所に埋葬されていたという。自然に内包されているのは、植物の萌芽や実りといった生産的な側面だけではない。冬の荒涼とした大地や、ときに動植物の命を奪う厳しい気候環境も自然の摂理の一部なのだ。女神は死の香り漂う冬から季節を巡らせ、地球に再び芽吹きの春をもたらし、あらゆる生命を循環させているのである。生と死という相反する二つの概念を孕んだ女神像は、紀元前3500年頃に南ロシアのステップ地方からもたらされた家父長的なインド=ヨーロッパ文明の時代以降になっても、アナトリアやギリシアの女神であるヘカテーやアルテミスのイメージへと受け継がれていった。

 女神を地母神として自然そのものと同一視する傾向は現代にまで継承され、アメリカの西海岸を中心に、ミレニアルウィッチと呼ばれる現代の魔女が多種多様な女神を儀式の中で召喚している。現代の魔女は「一人一派」と言われるほど、儀式の作法や女神の解釈は個人によって異なっており、全ての魔女が持つ共通の女神像を提示することは難しい。しかし、現代の魔女にとって女神とは単なる信仰の対象ではなく、ある時には儀式を遂行するために必要な牽引役として魔法円の中に呼び寄せ、またある時には自分自身に女神の姿を投影するなど、一般に考えられるような超越的で絶対的な神のイメージとは隔たった、より普遍的な存在として捉えられることが多い。

 1950年代にイギリスのオカルティスト、ジェラルド・ガードナーが創始したウィッカに端を発する現代の魔女宗は、火刑に処された中世の魔女をアイコンとした、女性の権利と自然のバランスを回復するためのムーブメントとして拡散し、フェミニズムやエコロジー運動と連動しながら今日に至る。こうした歴史的背景の上に成立した魔女宗の女神像は、一神教世界の高潔な聖母像や、父権社会で確立された処女母神のイメージとは根本的に異なっているのである。「女神を信じるか」と問われ、「あなたは石の存在を信じるか」と問い直したというアメリカの魔女、スターホークの有名なエピソードが示すように、魔女にとっての女神崇拝とは、身近に存在するあらゆる自然の中に霊的な存在を見出すアニミズム的世界観の中にある。かつては自然から恩恵を受ける行為を「介入」として捉え、大地の子宮たる鉱山を開く際には宗教的儀式を奉じていた人類は、近代に突入するといつしかその謙虚さを失い、際限のない資源の搾取と、それに付随する環境破壊を加速させてきた。産婆術から堕胎へ、調和から征服へと変遷した自然へのアプローチは、そのまま女性原理の透明化の歴史と重なっている。

2021~びわ湖の石けん運動からインスピレーションを受けた作品 COVID19せっけん

 以上を考慮すると、温室効果による海面上昇の危機に瀕した現代の地球において、1960年代にジェームズ・ラブロックが提唱したガイア理論が女性の復権と結びつけて再考されるのは必然と言える。ギリシア神話における地母神の名を冠し、地球を一つの有機体として捉えるこの理論は、内的意識の拡大を重視し、自然との融合を目指す魔女の思想と共通している。さらに、長きにわたって女性にあてがわれてきた慎ましさや母性といった単調な性格から逸脱し、感情や野性といった、これまで抑圧されてきた側面を否定しない魔女の女神像は、マインドフルネスやウェルビーイング、ボディポジティブといった、ありのままの自分を受け入れようという昨今のムーブメントとの親和性も高い。近年の現代魔女ブームの地盤には、こうしたいくつかの要因が積み重なっているのではなかろうか。

2022年作 身体と草 黄色い魔女5 安田自身の等身大の影 『社会基準』の身体を変える提案

 ここまでの論考を踏まえたうえで、改めて安田の新作『女神』シリーズと対面してみよう。鑑賞者に鋭い眼差しを投げかけるグレタ・トゥーンベリの肖像に、起源を古ヨーロッパ時代に遡る明暗両相を兼ね備えた女神の面影が立ち現れてきはしないだろうか。その目には、環境破壊を進めてきた大人たちに対する荒ぶる怒りと、失われつつある自然環境への深い慈愛が宿っている。彼女は激しく沸き立つ感情を伴って、地球の運命を破壊から再生へと転換するために人々へ訴えかけているのだ。背景に描かれた写実的な花もまた搾取されてきた自然環境の一部なのであり、長きにわたる男性優位社会の中でその場を彩る添え物として扱われてきた女性のメタファーとしても映る。

2023年作 女神8

 ここまで論じてきたように、安田の制作活動の傍らには、常に内的世界への探究と自然やコミュニケーションのテーマがあった。本展では96年発表の『Trample on me』に、『女神』シリーズの発想源となったスペインのマヤ祭りの祭壇が組み合わされて再展示されるほか、もう一つの新作『タロット』シリーズがお披露目される。ウィッカの魔女が女神信仰の内容を元に発明したマザーピース・タロットを再構築し、写真や安田自身が成長過程で影響を受けたモチーフをコラージュすることで、作家の個人史と現在の興味の対象が視覚化された作品となっている。創作の原点から最新作まで、本展覧会で安田の豊かな作品世界を存分に満喫していただきたい。

びわ湖の石けん運動リーダー 藤井絢子さんインタビュー映像とタロット作品
タロット11 力 石けん運動の写真とフランスの花屋のカード、アクリル、油彩で着彩 力のカードの意味は、強固な意志、知恵、勇気、持久戦
運命の女神が咲く 会場風景1
運命の女神が咲く 会場風景2
運命の女神が咲く 会場風景3

写真撮影:藤巻瞬

参考文献

文藝 2022年冬季号』河出書房新社

マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々: 新装版』鶴岡真弓訳、言叢社、1998年

鏡リュウジ『ウイッチクラフト : 魔女術 都市魔術の誕生』柏書房、1994年

松村一男『女神誕生 処女母神の神話学』講談社、2022年

スターホーク『聖魔女術 (スパイラル・ダンス) : 大いなる女神宗教の復活』鏡リュウジ/北川達夫訳、国書刊行会、1994年

モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ : 世界の再魔術化』柴田元幸訳、文藝春秋、2019年


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