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何故日本では障がい児を特別支援として"隔離"するのか
新年あけましておめでとうございます。bloodwoodです。2023年はどんな年になっていくのでしょうか。平和な一年となりますように。
今回のテーマは教育現場における障がい児への教育を軸に日本の教育現場の問題点について書いていきたいと思います。
そもそも特別支援教育とは
特別支援教育について深く掘り下げていく前に、そもそも特別支援教育って何?という方向けにも特別支援教育について簡単なおさらいをしよう。
特別支援教育(英:special needs education)とは、簡単に言うと障がい児のための特別教育である。身体的障害、精神障害などの障がいを持った子どもが普通の教育を受けられない時にこの特別支援教育を受ける。
特別支援教育にも大きく二種類ある。
1つは特別支援学校。そして2つ目は特別支援学級である。
前者は通常の学校ではない、障がい児専用の学校で教育を受けるというスタイルで、後者は普通の学校の中に存在する障がい児用の学級である。
要するに健常児が通う学級とは別の学級で学ぶという事なのだ。
特別支援教育の歴史
特別支援教育の歴史は深く、明治十一年へと遡ることになる。
明治十一年にあった主な出来事は紀尾井坂の変などが挙げられるが、そんな年の五月、京都のとある教員が指導し設立されたのが「京都盲唖院」である。この学校こそが、日本における障がい児教育の先駆けであった。この学校は盲唖とあるように、主に視覚障がい児のための今で言う盲学校だった。
そして明治十三年には東京にも同じような盲唖院が設立されることとなる。
その後も視覚障がい児のための盲唖院が次々と設立される事となるのだが、その他の知的障がいなどのある児童はどうなのか。日本で初めて正式な学校として作られたのは、東京滝乃川学園であり、なんと明治二十四年のことだった。
そして肢体障がい児のための学校が設立されたのはそこから三十年後の大正10年のことだった。
転換点
1939年から始まった第二次世界大戦によって、日本は戦争で首が回らなくなってしまった。物資は不足し、戦場では連合国に押され、軍部の暴走などが重なり日本は1945年8月14日にボツダム宣言を受諾。9月2日に降伏文書に調印。人類史史上最大で最悪の戦争は、民間・軍人合計約8000万人の犠牲者を出し終結した。
というのが大まかな第二次世界大戦の流れだが、戦時中の1941年に特別支援教育の転換点があった。国はそれまで義務ではなかった特別支援教育を義務化することにしたのである。
文部科学省のホームページを見ると、こう記述されてある。
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318248.htm
こうある通り、国は特別教育を義務化することで普及を図ろうとし、実際に激増したが、第二次世界大戦が進行することで閉鎖されてしまったそうだ。
残念ながらこれから5年後の1946年の大和田国民学校における養護学級開設まで、日本の特別教育が再興する事はなかったのだ。
戦後の教育と転換
このようにして一度は消えてしまった特別支援教育の火だが、先述した大和田国民学校養護学級開設によって再び特別支援教育が始まることとなる。
1947年には旧教育基本法及び学校教育法によって再度盲学校等への就学が義務化された。この法律が制定された事によって、全国に特別支援教育の輪が広がり、障がい児のための教育が普及する事となる。1979年には養護学校も義務化された事で我が国の特別支援教育は発達していくのであった。
2001年には文部科学省が特殊教育という名称から特別支援教育への変更を行った事で、従来の日本の特殊教育から特別支援教育への転換がなされた。
特別支援教育の意義と問題点と海外
特別支援教育の意義と問題点
ここまでの話によって特別支援教育の歴史はある程度理解できたのではないだろうか。続いてはその意義と問題点について考えていく。
特別支援教育の意義とは?と聞かれて正しく答えられる人はいるのか。
恐らく大半の人は「自分には関係ないし、わからない」とお思いなのではないだろうか。特別支援教育の指針を定めた学校教育法の第七十二条と八十一条にはこう記されている。
第七十二条 特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。
第八十一条 幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校及び中等教育学校においては、次項各号のいずれかに該当する幼児、児童及び生徒その他教育上特別の支援を必要とする幼児、児童及び生徒に対し、文部科学大臣の定めるところにより、障害による学習上又は生活上の困難を克服するための教育を行うものとする。
このように特別支援教育とは社会で生活する上で障害による困難などを克服し、自立するための教育なのである。
では実際に教育現場では法律で定めるような目的が果たされているのだろうか。答えは否である。
特別支援学級の現状
実際の特別支援学級はこのような崇高な目標には到底及ばず、療育が出来ても勉強面では遥かに劣ることになっている。
それに加えて教師による体罰が横行しているというのが現状だ。
2021/10/4
特別支援学級と言っても何ら特別ではない。そこには障がい者と健常者を区別する、ある意味人間的な、深層意識の中にあるバイアスがあった。
日本の教育が決して最悪だとか、日本の制度はーなどと卑下しているわけではない。日本の教育水準は高いが、特別支援学級という普段生活していて目を向ける事のない制度は、障がい児たちを置いて行ってしまっているという事なのだ。
では日本以外の国はどうなっているのだろうか。
海外における障がい児教育
海外での障がい児教育のキーワードは「インクルーシブ教育」である。
インクルーシブ教育とは健常者と障がい者が隔てられるのではなく、共に暮らし、共に学び、対等な関係を築く事目的の教育方法の事を指す。
欧米や諸外国ではこの制度を採用し、障がい者と健常者という区切りをなくし、同じ人間として共に同じ場で学ぶことになっている。
このインクルーシブ教育は2006年の国連総会にて採択された障害者の権利に関する条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities 通称CRPD)の第二十四条で掲げられた制度で、この条約に批准した国は185ヵ国ある。(日本は2014年に批准している)
皆さんもニュースでご覧になっただろうが、国連が日本政府に対して条約で定める方針を達成していないとして勧告を行ったとのニュースがあった。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/474044.html
これには法的拘束力がないものの国連の勧告なので、極めて重いものになっている。これについて永岡文部科学大臣は「特別支援教育の中止は考えていない」とした。勧告を受けて何かしらの対策に出る事はあるだろうが、本当の意味でインクルーシブ教育が、障がい者と健常者の平等が達成される日は遠いだろう。
話は戻って外国でのインクルーシブ教育はどうなっているのかという事についてだが、例としてスウェーデンを紹介する。
スウェーデンはこの条約に2008年に批准した。
スウェーデンでは従来の特別支援学級は残しつつも、インクルーシブ教育が推進されている。スウェーデンではアスペルガー、知的障害の伴わない障がい児を基礎学級(義務教育の通常学級)で学ばせることとした。また、障がい者などのマイノリティを理解し、対等な関係を築くためマイノリティに関する人権の立場からの議論を行っている。
またデンマークなどでは健常者、障がい者に関わらず対等な立場を築くための取り組みとして、障がいという考えを棄て、楽しく一緒にスポーツをしたり、学んだりするというものが行われている。
その他にもアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの国でもこのようなインクルージョンが進められている。
日本のこれからの特別支援教育
ここまで海外でのインクルーシブ教育について語ってきたが、これから日本はどうすればよいのか。
ここで重要なのは欧米の見よう見まね、欧米の通りにするのではない、あくまでも日本的な、日本に合わせた考えが大事だという事だ。
インクルーシブ教育に合った、障がい者、健常者双方の視点でこれからの教育を考え、未来を見て、作る。これが重要だ。
健常者による障がい者への差別をなくすためにも、まずは子どもから、教育から変えていく事で、いつか社会は変わるのではないだろうか。
そしていつか、障がい者と健常者という隔てる壁を壊し、すべての人間が共に生活できる社会を作っていきたい。
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