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なぜいつの時代も移民は「調整弁」として扱われるのか |金聖源 【『第七の男』より】

移民労働者の実存に迫り、新自由主義の悪夢を暴いた、英国孤高のストーリーテラーによる美しき“告発の書“『第七の男』。およそ50年前に書かれたノンフィクション作品でありながら、グローバルサウスを中心に多くの読者に読み継がれてきた知られざる傑作。刊行に先駆け、翻訳を務めた金聖源さんが本書に寄せたあとがきを特別公開。

Photos by Hiroyuki Takenouchi

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『第七の男』 訳者あとがき

金聖源

本書『第七の男』は、ペンギン・ブックスより1975年に出版されたジョン・バージャーとジャン・モアによる共同著作“A Seventh Man”の完訳である。

本書は「序文」と「読者への覚書」を挟んで、一編の詩から始まる。その詩の脇ではニューヨークの高架道路とボスニアの山道が対比されるが、これがその後繰り返されるメトロポリスと移民労働者の故郷の風景であるということは、本書を開いて間もない読者には知るよしもない。

挿入された詩の作者は32歳の若さで自死を遂げたハンガリーの国民的詩人、アティッラ・ヨージェフである。彼の詩作は生前こそ評価を得られなかったが、3歳で父が失踪し14歳で母に先立たれ孤児となり、貧困と精神病の中で紡がれた作品は、その美しさから他界後に世に見いだされた。今では彼の誕生日の4月11日はハンガリー国民の「詩の日」に定められているほどだ。マルクスの思想に傾倒し一時は共産党に入党するも、「個人的な思想」が原因で除名され個人での活動を続けた。個人活動に徹したマルクス主義者という点でバージャーとの共通点が見られる。

原題を“A Hetedik”とするアティッラの詩は、ハンガリー文学研究者の原田清美さんによって『ヨージェフ・アティッラ詩集』(未知谷、2015年)で訳出されているが、バージャーが英訳を参照していた事実を鑑みて、本書では英語から重訳し、「第七」と題して新たに訳出した。バージャーの視点に近づこうとした工夫としてご理解頂きたい。

「あなたが第七の男となりなさい」の一節がリフレインされるこの詩を、筆者は当初都会へ向かう移民労働者へのはなむけの言葉と読み取った。しかし全編を何度も読み直すうちに、この詩が自分に向けられているように感じられてきた。「創世記」における数字7の神聖さも輪をかけてか、移民労働のとば口で「男」に向けられたはずの言葉が、読み手のわたしに天啓のように響いてくる。いかなる苦境や困難にも負けず「七度は生まれ直しなさい」と。

ジョン・バージャーについて

バージャーは1926年、ロンドン北東部はストーク・ニューイントンに生まれ、2017年1月に90歳でこの世を去った。生涯マルクス主義者として痛烈な資本主義批判を展開し続けたバージャーは、30代後半から晩年までの約50年以上の歳月をフランスで暮らした。40代後半からカンシーという田舎街で農村生活を始め、最期はパリ郊外アントニーで息を引き取った。

16歳でセントラル・スクール・オブ・アートで美術を学び始めた彼は、大戦の影響で1944年にベルファストの訓練所へ配属され、若くして歩兵部隊に伍長として従事する。戦況を裏で支える労働者階級の人びととの部隊生活における出会いが、後のバージャーの政治的立場を形成するのに大きく影響したとされる。その後、チェルシー・スクール・オブ・アートで再び画法を学んだバージャーは画家として、また美術教師の訓練学校の講師として活動を続けた。まもなく、その社会主義的な政治・文学・美術批評で知られる雑誌“New Statesman”で論壇に上がる。そして1958年、32歳のときに“A Painter of Our Time”(未邦訳)で小説家デビューを果たす。ほどなくしてフランスへと移住するが、それはイングランドの知識層に対する嫌悪からだったとされている。

バージャーの名を世に広く知らしめた仕事が1972年にふたつ生まれている。ひとつめは、英国放送協会BBC2の30分尺・4部構成のテレビ番組“Ways of Seeing”である。バージャーが企画から制作までを担当したこの番組は、主に絵画を対象に西洋社会が芸術作品へ向けるまなざしを批判し、歴史を通じて蓄積されてきた西洋社会の「ものの見方」のバイアスを白日の下に晒す内容だった。書籍化もされたバージャーの代表作である。

近年、テクノロジーと人間の関係を論じた著書“Ways of Being”で脚光を浴びる気鋭の作家兼アーティストのジェームズ・ブライドルは、BBC Radio 4の“New Ways of Seeing”という2019年の番組内にて、“Ways of Seeing”が残した影響について以下のように紹介している。

“Ways of Seeing”を通してバージャーは、人びとにアートを介した新しい“ものの見方”を提示したのみならず、わたしたちがいま生きる社会の多くを明らかにした。西洋美術が繰り返し扱う女性のヌード鑑賞を再考することで男性中心社会の権力構造を批判し、油絵の制作依頼の裏に潜む富裕階級と巨大資本の存在を批判した。バージャーの美術批評は、今日の社会や政治システムがどうつくられているのかに迫るものだった。そして“Ways of Seeing”は、美術作品が生まれてから現代に至るまで、社会がどんな変遷を経てきたのかを考えることをも可能にする内容だった

筆者が2023年にロンドンを訪れた際、大手書店や美術館のショップの店頭の目立つ棚に書籍版“Ways of Seeing”(邦題『イメージ:視覚とメディア』パルコ出版、1986年)が置かれているのを多く目にした。美術批評の金字塔であり、半世紀を過ぎた今もなお多くの人びとをインスパイアし続けている。2022年には“Ways of Seeing”の放映と刊行50周年を記念した特集がBBCで複数組まれていたことも記憶に新しい。

ふたつめの功績は小説『G.』(新潮社、1975年)でのブッカー賞受賞だ。『G.』は20世紀初頭の戦時下のイタリアを舞台に政治的目覚めと思春期の心の葛藤を経験するひとりの少年の人生を描いた小説である。その内容もさることながら、バージャーは授賞式での答弁で注目を集めた。授賞式で彼は、賞の運営母体にあたるブッカーマコンネル(現ブッカーグループ。英国大手の小売チェーンTescoを保有)が130年以上にわたってカリブ海からの移民労働者を搾取してきた歴史を痛烈に批判したのである。そして賞金の使途を聞かれた彼は、賞金の半分を当時活動を開始して間もない英国ブラックパンサー党へ寄付することを強調した(英国ブラックパンサー党は、アメリカで始まった黒人民族主義運動の英国展開。その政治思想は社会主義的色彩が極めて強いものだった)。さらに賞金のもう半分は、「移民労働者」に関する次作の取材費にあてることを明らかにした。その次作というのが、本書『第七の男』の原著“A Seventh Man”である。


ジャン・モアについて


小説、詩作、戯曲にわたるまでジャンルを横断して生涯作品をつくり続けたバージャーが、晩年まで親交を深めていた写真家がいた。ジャン・モアである。

バージャーが生まれた1年前の1925年、モアはジュネーブで生まれた。ジュネーブの大学で経済を学んだのち、広告界の写真家としてキャリアを開始する。その後、国際赤十字でのボランティア活動を機に、UNHCRやWHOなどの人道支援団体に同行する写真家として活動を本格化する。彼の残した戦争現場の記録は、多くの団体で平和学習のツールとして採用された。日本では2010年以降「僕たちが見た戦争:ジャン・モア写真展」など、在日スイス大使館主催のもと広島平和記念公園で写真展が二度開催されている。また、エドワード・サイードとの共著『パレスチナとは何か』(岩波書店、1995年)は彼の代表作のひとつで、パレスチナ難民を題材とした作品の数々はローザンヌのエリゼ写真美術館に収蔵されている。

モアはバージャー逝去の翌年の2018年、93歳で生涯を終えた。ふたりは同時代を生きた同志であり、50年にわたり友情を育み5つの作品を残した。『果報者ササル:ある田舎医者の物語』(みすず書房、2016年、原題“A Fortunate Man”)は、原著出版から48年を経てなおその精緻な記録が多くの医師から支持され、2016年にRoyal College of General Practitioners(王立一般医学会)推薦図書に指定されている。『第七の男』同様、ふたりの独特な制作スタイルが時代を超え支持されていることの証左とも言える。制作過程におけるモアの仕事に対する信頼を、バージャーは以下のように表現している。

「ジャンは現場で目に見えぬ存在となった。数分すると彼は写真を撮り終えていた。被写体がそのことに気づく隙はない。この才能──明らかにジャンにのみ与えられた才能──は、彼の類い稀な思慮深さ、他者を心から想う力から来ているのではないかと思う。ジャンのその才能が、被写体の魂をありのままでいさせるのだろう」

九柱戯をする子どもたち。トラペット、シチリア。『第七の男』より。
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


『第七の男』について

序文でバージャーは「本書の制作中、自分たちが何をつくろうとしているのかわからなかった」と綴っている。しかし、主題である「移民労働」への接近の仕方は見事に“Ways of Seeing”を踏襲している。“Ways of Seeing”との違いを挙げるとするならば、観察対象と溶け合って物語を制作した点にある。欧州社会の「他者の経験」を真の意味で理解しようとしたバージャーは、ついにはフランスの農村部へと移住する。長年交友関係にあった女優のティルダ・スウィントンがバージャーの素顔に迫った映画“The Seasons in Quincy”において「著書から後世に残すべき作品をひとつ選ぶとしたら」としてバージャーは『第七の男』を挙げ、それが人生の転回点だったと回想している。

本書が書かれたのは1973〜74年、欧米諸国を筆頭に世界経済は石油危機を背景とした未曾有のインフレを経験し、景気停滞による典型的なスタグフレーションに陥っていた。バージャーが嫌悪を示して去った英国では労働者のストが日常化していた。英国病とすら名付けられたその景気停滞により、左派政権の失政を糾弾し自国の名誉回復を求める保守党の硬派な政策推進に拍車がかかった。同時期、チリでは左派政権を倒すクーデターが起こり、シカゴ学派による世界初の新自由主義実装とも言われるピノチェト政権が誕生している。その数年後にサッチャーが政権をとると、英国でも新自由主義的な政策推進が勢いを増していった。世界的に新自由主義が加速していくなか、「なぜは移民は単純労働を強いられるのか?」「なぜ移民は交換可能な機械部品のように扱われるのか?」「なぜ移民は祖国を離れてまで屈辱を受け入れなければならないのか?」といった疑問に真っ向から取り組んだのが、本作ということになる。

およそ半世紀前に出版されたにもかかわらず、本書は2010年に英国で新版が刊行されている。グローバルサウスを中心に多くの読者に読み継がれてきたとされる本書は、移民というトピックが地球規模の社会問題として緊急性を増す中、それを考える上での格好の手引きとして書店の棚に、再びその居場所を見つけているのかもしれない。


翻訳の動機

筆者が本書と出会ったのは2019年、留学先の南ロンドンの大学近くの、とある書店でのことだった。移民労働者の写真の横に資本主義批判がならび、ときおり詩が挿入される。その立体的な表現に惹かれた。

筆者は韓国で生まれ、父の仕事の都合で生後2カ月から日本で生活を始めた。日本で「金聖源」という名前で暮らしている限り、移民という主題は避けて通れない。一方、日本における移民関連の議論の多くが、「マイノリティ」や「多文化共生」といった言葉に落ち着いてしまいがちな状況に変化を求めていた。そんな折、英国で本書に出会った。移民労働を生み出す社会システムそのものに、文章とイメージ、具体と抽象の双方から切り込むやり方に目を見開かされた。日本語圏にも届けたいとの想いから本件を企画し、版権交渉と文書スキャンを始めたのが2021年だった。帰国後、それを自分なりの博士課程だと位置付けて作業に当たった。

筆者がゆかりのある日本でも韓国でも、移民をめぐる議論は近年加熱している。少子高齢化、生産年齢人口の減少により海外人材への期待も高まる中、入国管理諸制度をめぐる話題には事欠かない。ただ、世界に目を向けてみれば明らかなように、今のところ移民をめぐる社会の諸問題を解決する特効薬はない。そして、きっとそれは存在しない。解決への道があるとすれば、わたしたちの社会が繰り返し生み出す問題の対象を「見る」ことから始め、問い続ける力を養うことではないだろうか。なぜいつの時代も移民は「調整弁」として扱われるのか?

「我々は労働力を連れてきたが、やってきたのは人間だった」。スイス人作家マックス・フリッシュのよく知られた言葉だ。その「人間だった」の言葉に「家族アルバム」のような表現で応えた本書の功績は大きい。結局のところ、人間存在としての移民労働者の世界の見方を捉えるために己の世界の見方を一度解体した上で新たな想像力を起動しない限り、いつまでたっても「移民は良いのか? 悪いのか?」といった二元論から逃れることはできない。「ただのパンフレット」と評された本書の日本語版により、わたしたちに新たな「ものの見方」がもたらされることを願う。

車を買って帰国した移民とその家族。アナトリア、トルコ。『第七の男』より。
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


金聖源|Sungwon Kim

1985年ソウル生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、2007年電通入社。 国内外大手企業の広告制作と新規事業開発に従事。2019年ロンドン大学ゴールドスミスで文化起業論、2020年に奨学生としてブリストル大学で移動・移民 学のふたつの修士号を取得。英フィナンシャル・タイムズ勤務を経て、東京を拠点に異文化間コミュニケーションや日英韓の文化翻訳活動を展開している。
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『第七の男』
ISBN:978-4-910801-00-1
ジョン・バージャー(著)/ジャン・モア(写真)
金聖源、若林恵(翻訳)
造本・デザイン:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:黒鳥社
判型:A5変形/256P
定価:2800円+税

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小冊子「ジョン・バージャーの本棚:『第七の男』を読む」

『第七の男』発売後、一部書店・黒鳥社ECサイトで本書を購入すると、限定特典として小冊子が付属します。ジョン・バージャーって誰? 『第七の男』って何? といった疑問に答えるべく、本書の系譜を関連書籍とともに辿る30Pのパンフレット。テキストはすべて若林が執筆しました。詳細は黒鳥社のSNS・メルマガで後日お知らせします。