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ダイアログ・イン・ザ・ダークで気づく、視覚障害のことや意外な誤解。
ブラインドライターズ代表の和久井です。
先日、ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは全員で真っ暗闇の中に入り、食べたり飲んだり、ものを書いたり、いろんなシチュエーションの場所を歩いたり、様々な体験をします。
そのなかで仲間同士生まれてくる連帯感にはとてつもなく幸せを感じます。視覚を失った世界でのコミュニケーションの方法など、今までに味わったことのない新鮮な感覚を学んでいきます。
インドに行くと人生観が変わるとよく言いますが、私は「インドに行かなくても人生観が変わる体験」と言っています。なんにも伝わらないですが。
「目隠しをして街を歩く疑似体験をしたことがあるからわかる」という人もいますが、それともまったく質が違います。
たいていみんな、行く前は気が進まなそうなのですが、終わった後は興奮してます。
突然視覚が失われた世界に放り込まれて、山ほどいろんな発見をして外界に出てくると、参加者はこれまで考えたこともなかった事柄について思いをめぐらすようになります。
そして、視覚障害者に対する関心がグッと上がるようです。
体験後、参加者同士のディスカッションの中で出てきた話題について書いてみます。
「白杖を高く上げるのはSOSのサイン」ってほんとう?
スタッフに聞いてみました。
結果としては「誰もやったことがない」でした。
まず、見えない状態で白杖を高く掲げるのは、ものや人にぶつけてしまう可能性があり危険なこと。
困っているときは声をかける方が慣れていることなどが理由のようです。
また、そのようなサインがあることすら知らない人も少数ではありませんでした。
視覚障害者当人が知らない人が多いと思います。
試しに一度上げてみましたが、だれも声をかけてくれませんでした。
白杖を高く上げることへの抵抗や、安全性、世の中の認識がほとんどないという問題はありますが、全盲者が周りに誰か人がいるのか分からない状況で、出せるサインがあれば良いとも思います。
視覚障害者を見かけたらすぐに助けるべき?
暗闇での移動に心細さを感じた参加者は、「視覚障害者はいつでもこの状態なのだから、手を差し出さなければ」と考えるようです。
でも慣れた道や場所では通常、手助けは不要です。
視覚以外の情報から自分の位置を把握しているので、そこで無理に手を引かれたりすると、自分の居場所が分からなくなったりするそうです。
そこでスタッフに、どんな時に声をかけてもらいたいか、聞いてみました。
何か探していたり、同じところをうろうろしているときは、大抵目的地がわからなくて困っている時なので、声をかけてくれるとありがたいです。でも、普通に歩いていたら見守り程度でいいかと思います。
人が多かったり、工事していて遠回りしなきゃいけないとき、道が入り組んでいるところでは、慣れているところでもストレスあったりするのでうれしいかも。ただ、正面や背後から声かけられるとびっくりするので、斜め横からのほうが個人的には助かります。
なんとなく気になったのであれば、お声がけくださると私はうれしいです。お手伝いを必要としていないときもあるかもしれないけど、もし断られてもあまり気にせず、またどこかで白杖の人を見かけたら、くじけず声かけしてもらいたいです。
でも、あえて声をかけるタイミングを言うと、同じ場所をうろうろしているとか、ふと止まって端によけたりしているときは道に迷ってるかもしれないので、そんなときの声かけは助かります。
あとはロービジョンだと、駅の案内板などをスマホのカメラで撮影して、手元で拡大して見たりするので、もし案内板を撮影している白杖ユーザーがいたら、道に迷ってるかもしれないです。
赤信号を渡ろうとしている、車道を歩いているのを見かけたなどの時は声をかけてもらえたら嬉しいです。
断る側のぼくたちにもマナーが必要なように思います。
勢いよく歩いているときは慣れている場所なので大丈夫なことが多いですが、白杖でさぐりながらとか、ゆっくり慎重に歩いているようなときも、慣れていなかったり迷ったりしている場合があるので声をかけていただけるとうれしいです。
基本的には積極的な声かけは良いと思います。スタスタと歩いているときは、道が分かっているので、少し離れたところから見守りくらいでよいですね。迷っていそうなときは助かります。また駅や横断歩道での声かけも助かります。
声をかける時は、正面や後ろを避けて、「何かお手伝いしましょうか?」と言うのがよいようです。間違ってもいきなり腕を掴んでどこかに連れて行ったりしないように。普通に考えて健常者でもめっちゃ怖いです。
アテンドするときは、自分の腕を掴んでもらい、半歩前を歩きます。手を差し伸べても見えないので、自分の手の甲を軽く相手の腕に触れて「ここに手を出しているよ」と知らせます。
白杖とは反対の手で掴んでもらうので、左右どちらがいいか聞くとよいそうです。
半歩前を歩くことで、段差や坂道を知らせることができます。また、幅が狭い場所を通るときは、腕を後ろにやり、自分の真後ろを歩いてもらって、どんな障害物があるかを口頭で説明します。
ちなみに私は自分の好きな方の手を差し出し、無言でエスカレーターに乗せるというけっこう気が効かないアテンドします。まあ「やんないよりはいいよね」くらいの感覚です。
なぜ、障害者には「できないこと」が多いのか?
障害者がいろいろ不便なのは、障害があるからではありません。
もし「障害があるからに決まってるだろう」と思う人がいたら、少し考えてほしいのです。
あらゆる障害を持つかたが社会生活を送る際に不便なことがあるのは、設備が不親切だからです。
両手両足、両指を思い通りに動かすことができ、周囲の看板の文字を読むことができ、周囲の音を聞きわけられることを前提として社会が成り立っているからです。
階段の脇にスロープをつけるだけでも、車いすや杖を使うかたは移動が楽になります。
音声や文字案内をつければ、聴覚障害、視覚障害、ディスレクシアの人たち、日本語があまり得意ではない人たちが情報を得られるようになります。
不自由な身体をサポートする機器があったら、障害を得ることに大きな不自由は感じないはずです。近視の人がそれほど不便を感じないのは矯正機器が充実しているからですよね。
IT技術の進化や、手指が不自由でも使えるアイテムが障害をサポートしていけます。
こうした社会的インフラをもっと充実させていくことがもっとも大事です。
その過程で、今彼らが困っていることに手を貸すのが、サポートのあり方だと思います。
障害があるからできないことが多いという考えは、「障害者はかわいそう」「手を貸すべき存在だ」という考えにつながり、差別を生むような気もします。
人の能力は千差万別、上を見てもキリがありません。私は他人から「××ができなくてかわいそう」なんて絶対に言われたくありません。哀れみや施しなら受けたくありません。
だから、誰のことも「手を差し伸べるべき相手」とか「障害があって大変そう」と思わないのです。
ダイアログ・イン・ザ・ダークはダイバーシティやことばの重要性を考える素晴らしい機会だと思います。
この体験が多くのかたに「誰もが受け入れられ、参加出来るインクルーシブな社会」の必要性を考えるきっかけになったらいいなと思います。
合同会社ブラインドライターズとは
スタッフ全員、何らかの障害があります。
主な事業は視覚障害者による文字起こし。ニーズに沿ったクオリティの高い原稿で、放送局、出版社、大学研究室、法律事務所など、多くの皆様から定評をいただいています。
文字起こしのほか、アクセシビリティやバリアフリーの提案も行っています。
ぜひ私たちを応援をお願いいたします。
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