世紀の大失敗 後日談

 最近僕のくだらない失敗話ばかりで恐縮なのだが、失敗にこそ書き残しておく意味があると思うので記事にすることにした。成功体験なんて、書き残しておかなくてもきっと次もうまくいく…と思う。
 前回のカフェでミルクを盛大にこぼした事件では、静かな店内でひなちゃんを大泣きさせてしまったり店員さんに床を拭いてもらったりと、いろんな人に迷惑をかけてしまった。それ自体はもちろんいいことではないし今後大いに反省するべき点なのだが、あの後考えていて僕が落ち込んだ本当の理由は少し違ったところにあることに気付いた。
それは、失敗は許されないと思っていたからだ。
 誰にでも失敗することはあるし、恥ずかしいことながら僕自身これまで自分の失敗には人一倍甘い人間だった。だからこそ、良く言えばあまり落ち込んだり引きずるようなこともなかったのだ。
ただひなちゃんのことに関してはそう思えない自分がいた。それは、視覚障害を持った親という新たな肩書を持ったからに他ならない。
今回のミルクをこぼしてしまった原因は、事前に家で試していなかったために、缶と哺乳瓶の吸い口をうまく接続できていなかったから起こったのだ。ただ客観的に見れば、視覚障害を持っているからミルクをうまく飲ませられなかったんだととらえられてもおかしくないと思うのだ。
これはいささか曲がったとらえ方かもしれないが、少なからず我々が子育てしている以上は、視覚障害を持った親という肩書は変えられない。だからこそ何か失敗をした時に、それが直接目が見えないことに関係なかったとしても、そうとらえられるような気がするのだ。
 これにもし解決策があるとすれば、僕自身の考え方を少しずつ変えていくことだろう。そもそも上で書いた考え方自体が被害妄想と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
ただ今回の失敗で、自分自身の心のどこかにコンプレックスが潜んでいたことに気付いた。コンプレックスという言葉が正しいかどうかもわからないが、この先向き合っていかなければならない一つのとっかかりである。

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