まさかの病院泊まり込み

 在宅で仕事を済ませて、ひなちゃんの入院する病院に着いたのは、既に午後4時を回っていた。
朝から心配して神戸から応援に来てくれた両親に、ご飯の準備を任せて、少しだけ昼寝もできた。これから始まる一晩の戦いに備えて、エネルギーをチャージしておかなければと思ったのだ。
 事前に頼まれていたひなちゃんの大好きなアンパンマンジュースと、僕が一日付き添いをする上で間違いなく必要になるカフェインを摂取するためのコーヒーなどを買い、いざ病院へと向かった。
 病棟に入る前は、いつも緊張する。子供のころ、入院生活が長かった僕にとって、この先の空間は言いようのない怖い場所であり、母とお別れをする寂しい場所だった。大人になった今でも、得体の知れない何かに飲み込まれてしまいそうな感覚と、その時の寂しさは深く残っているものだ。
 部屋に入ると、ひなちゃんは思っていたより元気そうだった。ベッドの上で立ち上がり、策につかまりながら笑って迎えてくれた。添木で固定された左手には点滴がつながっており、それがとても痛々しかった。
ひなちゃんの着替えやおむつの置き場所、冷蔵庫やトイレの位置など一通りのことをママに教えてもらい、ひなちゃんと二人での病院生活が始まった。
 それからは、ひなちゃんとベッドの上で持ってきた絵本を読んだり、窓から外の景色を見て過ごした。事前にママからの引継ぎ?でもあったように、看護師さんや先生が病室に様子を見に来る度に、泣き出してはしがみついてきた。その度に、まだぎりぎり2歳になる前のひなちゃんが、将来この入院のことなんて覚えていなかったらいいなとおもった。
 夕食は魚の南蛮漬けだった。付き添いの僕の分まで出してもらえることはとてもありがたかったのだが、小さなテーブルにひなちゃんと僕の食事のトレイを載せて、しかも時間内に二人分食事を済ませるというのはなかなか大変なことだった。
ただでさえ普段とは全く違う環境で、ひなちゃんを座らせられる椅子もない。ひなちゃんをだっこしながらスプーンで口元に食事を運び、噛んでいる間に今度は箸で自分のご飯を食べる。そんな悪戦苦闘の末、結局ひなちゃんが食べたのは白ご飯数口だけだった。
 夕食も終わり消灯の時間になると、ひなちゃんは「ママ、ママ」と泣き出した。いつかくるとは思っていたが、ひなちゃんなりに頑張った方なのかもしれない。
「ママはおうち。ひなちゃんも早く元気になっておうちに帰ろうな」
とだっこして何度も言い聞かせているうちに、ようやくひなちゃんは寝息を立て始めた。
ひなちゃんが泣きたくなる気持ちは痛いほどわかる。ただでさえ熱があって辛いだろうに、痛いし怖いし寂しいのだ。
夜間も、看護師さんが点滴を付け替えに来てくれる度に起きては泣き、寝ているのか起きているのかわからない長い長い夜だった。
 朝起きると、ひなちゃんは前日よりもまた少し元気になっていた。ベッドの上で立ち上がるようになり、策をガタガタ揺らして遊ぶようにもなった。
ただ朝食はやはりほとんど食べず、牛乳だけはかろうじて飲んでくれた程度だった。
 午前の先生の検診ではやはり大泣きした。先生は
「熱も下がっているので、あとは食欲が戻ったら早くて明日には退院できるかもしれません」
と言った。
思ったよりも早くに光が見えた気がして嬉しくなった。
 さんざん泣きちらしたひなちゃんと、ほとんど眠れなかった僕は、いつの間にかまた眠っていたらしい。気が付いたら付き添いの交代でママが来てくれていた。
 ママは、昨日帰った時よりも元気そうだった。夕方から泥のように朝まで眠って回復したらしい。今度は僕が泥のように眠る番だと言い残し、家へ帰ったのだった。
 やはり子育ては一人ではできない。帰る道中、そんなことを考えていた。ママに比べたら、僕がひなちゃんの子育てに費やしている時間は圧倒的に少ない。
それでも出張をなんとか調整し、帰ってこられて良かったと思った。
(続く)

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