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舞台の幕を一度下ろして

楽しい舞台の時間が終わってしまった。
すっかり空っぽになったホールを出て、闇の中に歩いて向かう。
僕等の目を煌めかす時間ももう終わり。もう、僕等は「お別れ」だ。

なんか、感傷的な出だしになってしまった。今回の文章は志賀が大学で所属していた(※過去形。ここ大事)部活の話。

おととい、舞台本番。
昨日、ばらし。(舞台セットを片付けること。セットを「ばらす」ので、「ばらし」という表現で呼ばれる。)

一昨日、イケメン…というか、優しい、あまりにもいいやつすぎる同期のせいで、こいつが感傷的なコメントをしたことで、一年生が泣き出して、思わずつられてしまった。昨日も昨日で、自分が記して、渡した手紙を読んで泣いてしまった一年生に釣られて、また泣いてしまった。

僕等の部活動はここでお終い。僕等の部では秋公演が卒業公演の位置づけになっている。僕等はここで一旦卒業だ。寂しいと言われるとちょっと心臓が痛む。結構複雑な気持ちになっている。

一昨日も、昨日も、結局泣いてしまった。だから、今日は朝から目が痛いし、なんだか心臓の奥がずきずきする。インスタにあがる同期や後輩の投稿を見て、言葉にならない感覚があふれてくるのがわかる。じわじわと複雑な気持ちが自分の中に溢れていくことがわかる。

かっこいいことを美学にしているから、出来れば泣きたくないし、寂しいとか言いたくない。だから、自分の存在を惜しんでくれる後輩達に泣かれたり、また、一緒に過ごした時間を持つ同期に何か寂しいことを言われたりすると、自分の気持ちがぐらぐら揺れて、でも意地っ張りだから、それに正直になりたくなくて、「泣かないでくれ」と言ってしまうし、にやにやしながらからかってしまうし、対応に正直困ってしまう。優しく、もっと人に寄り添いたいと思うけど、人前で泣くなんてみっともないことしたくないという自分本位な気持ちがごちゃ混ぜになって、結局「ああ、もう!」と困って、怒ってしまう。悲しいとか寂しいとか、そういう感覚は私の中で「怒り」に変わってしまっている。全然、素直になれない。ごめん。

「先輩、かわいくない~」って笑ったのは、僕の脚本で主演を務めてくれた後輩だ。いやいや、かわいさとか求めてないし。僕は、かっこいい方が好きだし。好きなんだよ、本当に。そっちの方が僕はずっと魅力的に見えるんだから。

でも、君達の顔見てたら泣けてきた。ふざけんなよ、もう。泣きたくないって言ってるじゃん。

夜ご飯に行ったサイゼで、隣に座ったその後輩が「幸せだなあ…」と呟いた。日常の一かけら、ただご飯を食べているだけのその席で『幸せ』だと口にした。生きるために必要な「食事」という行為を、共にする、それを『幸せ』だと感じる事に、その瞬間共鳴して、心臓がぎゅーっと掴まれた。重たくて持っていられない程に心の器に水があふれた。あ、泣く。

ぐずりと自分の心が溶けた。目元が緩む。慌てて顔を隠した。

泣き顔を隠す私に「泣いてる~!」と言いながら、後輩君も泣き出した。なんで泣くのよ、つられるでしょう。さらに泣いちゃうからやめてってば。
「君のせいだ」と言えば、「先輩のせいです。先輩が泣くから。」と言い返してきた。かわいくない。君が「幸せだなあ」なんて感慨深いこと言ったからじゃん。私のせいじゃないよ。
ああ、もう、こんなのずるすぎる。幸せすぎる。聞いてないよ、想像なんてしてなかった。ありがとう、本当に、もう胸がいっぱいです。

別に今生の別れではないのに、どうしてこんなにも悲しくなるのだろう。…まあ、その理由の一部には今回舞台にした自分の脚本の問題もある。人が死ぬ物語で、それを演じた、もしくは観たことによって、きっと皆、『生きる』ことがより鮮明になっているのだ。…なんて最もらしい言葉を並べることは出来るけれど。

私は結局寂しいのだ。寂しくて、でも嬉しくて。感謝もしていて。

だから、今、こんなにじわじわと複雑な気持ちの中で時を過ごしているのだと思う。ちゃんと言葉にしきれないけれど、きっとそうなのだと思う。

物語では「またね」と返さなかった彼は死んでいった。でも、僕等は今を生きていて、互いに意志さえあれば「またね」を返せる。返せば、きっとまた会うことも出来る。
「またね」って言葉は、結構大事だ。
正確にいうと、「またね」って言葉の裏にある「また君に会いたいって思ってるよ」「また会う時を楽しみにしてるよ」っていう思いがとびっきり大事なんだと思う。

だから、思いっきり、正直に言えなかった分の思いも込めて、今はここに綴る。

本当に素敵な時間をありがとう。またね。
君達にたくさんの祝福がありますように。

追伸。ハピエンルート、書けたら読んでね。頑張って打ち上げまでには間に合わせます笑

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