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拝啓、今は亡き過去を思う

留学中、中学時代の塾の友達と6年ぶりにダブリンで再会した。
そこで言われたのが、「灯火ちゃんって過去を振り返らない主義なのかと思ってた」という言葉だ。どうやら私は、中学から高校へ、高校から大学へ、そして現在は大学から社会人1年目へと、次のステップへと進んでいく際にはそれまでの全てを置いていくように見えているらしい。

それを言われた時、確かになと思った。実際、私は学生時代のことをほとんど覚えていない。「こんなことあったよね」というエピソードを話されても、大体「そうだったっけ?マジで覚えてないわ」と返すことが殆どだ。

昔のことをあまり覚えていないというのは怖い。今考えていること、悩んでいること、今いる場所の空気の温度、匂いも、いずれ全て忘れてしまい、気付いたら何十年と経っているのかもしれないと思うと、今、そして私の人生全てが無価値な気がして、腹の奥がぎゅっとする感覚がある。

しかし、全てを覚えていないというわけではない。具体的なエピソードは覚えていなくとも、多感な時期に振り回されていた感情の残りかすのようなものは確かに私の中に存在している。例えば夏が終わる匂いがした時のようなふとした時に、それは胸で燻り始める。

そのことを愛おしいと思うと同時に、その感情とそれを呼び起こした出来事が思い出せないこと、そしてあの頃にはもう戻れないという事実に対して、どうしようもなく切ない気持ちになる。
私はこれをいわゆる「ノスタルジー」というものだと解釈している。

いつも通り前置きが長いが、そんな私が今日、用事のついでに高校までの通学路を歩いてみることにした。

駅から校舎までの道のりを歩いていると、不思議なことに、「今」が高校生のあの頃であるかのように錯覚した。ここに生徒指導の先生が立っているからイヤホン外さなきゃ、とか、単語テストがあるから勉強しなきゃ、といった当時の感覚が再現されたのだ。

校舎に着くと、高校の頃の記憶が次々に思い起こされてきた。1年の頃はあの教室でよく窓の外を見ていたな、あそこの部屋で制服の採寸をしたな、軽音部の入部説明もここで受けたな、運動ができないのになぜか思い立って応援団に立候補したけど楽しかったな、購買は新校舎にあったな、等、ぐわーーっと当時の記憶が次々と蘇ってきた。

すごく嬉しい気持ちになった。私が捨ててきた気でいた思い出全ては全く捨てられてなどいなく、ちゃんとここにあったのだ。おそらく、30歳になっても、80歳になっても、ここにさえ来れば、またあの時の記憶に戻ることができると感じた。

祝日で高校が開いていなかったので、校舎の周りを少し歩いた後らすぐに駅までの道を戻ることにし、音楽を聴きながら歩き始めた。曲はamazarashiの「季節は次々死んでいく」だ。

この曲を聴くと、高校に上がりたての頃を思い出す。中3の受験終わりから友達にハブられ、それがショックで苦しかった当時の私はこの曲を聴きながら本気で涙を流していた。
「拝啓忌まわしき過去に告ぐ絶縁の詩
最悪な日々の 最悪な夢の 残骸を捨ててはいけず ここで息絶えようと」という歌詞に共感して、忌まわしき過去を捨てたいと、「せめて歌えば闇は晴れるか?」と泣きながらこの曲を歌っていた。

当時の通学路を歩きながらこの曲を聴いていると、ふと気付いたことがある。それは、私の本質は今も昔もずっと変わっていないということだ。私には悩みがあると1人で音楽を聴きながら散歩をしてうだうだと悩む癖があるのだが、高校の頃も毎日、音楽を聴きながら色々なことを考えて、1人で下校していた。当時に聴いていた音楽を聴きながら、当時の通学路を歩く。それによって、およそ6年前の私と今の私が完全にリンクした。

一つだけ変わったことがあるとすれば、共感する歌詞の部分が異なっているということだ。過去の私が1、2番の歌詞に共感していたのに対し、今の私は、Cメロの「疲れた顔に 足を引きずって」からの部分に共感した。

「最悪な日々が 最悪な夢が 始まりだったと思えば ずいぶん遠くだ」という歌詞の通り、最悪な気持ちで高校に上がってきたことは、振り返ると遠い昔のことのように感じる。だが、昔にも今にも、「悩みはするけど しばらくすれば 歩き出」してきた。今悩んでいる私も、過去に何度も死にたいと思った私も、自分の人生に価値がないと思っていた私も、「そうだ、行かねばならぬ 何はなくとも 生きていくのだ」という歌詞の通り、歩みを止めず生きていたから、今の私が存在する。歩みを振り返ることのできるくらいには、私は大人になったのだ。

「どうせ花は散り 輪廻の輪に還る命」時まで、私は次へ次へと人生という道のりを歩いていく。その際、今現在に起こった出来事や感情を覚えてはいないだろう。しかし、過去はきちんと存在する。私が歩いてきた道には、確かに轍は存在していて、辿ってきた道を振り返ることはできる。

今、道を歩いている私は、過去の私とは違うように感じるだろう。確かに新しい知識や経験により、できることもできないことも違うだろうし、過去の私とは感じ方も変わっているかもしれない。それでも、私の本質は今も昔もこれからもずっと変わらない。

これらのことが分かっただけで、前へと進むのが怖くなくなった。社会人になった私は今、新たな一歩を踏み出すことをずっと躊躇している。それでも、今日を「最悪な夢が 始まりだったと思えばずいぶん遠くだ」と懐かしむことのできる日が来るのだろう。

この記事が、「季節が次々生き返る」手助けとなって、その時の私を楽しませていますように。

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