教育社会学 note③ 0718
〈大テーマ〉
学歴社会とは何かを明らかにし、高学歴化が進行するとどのように変化するのかについて、学力の視点から述べよ。
0 はじめに
・現代社会における学力の意味とは?
・前世紀末から今世紀冒頭にかけて起こったゆとり教育における学力論争を類型化して考察する
・2011年学習指導要領改訂時に起こった「脱ゆとり教育」は、本当に「ゆとり教育を否定するものなのか」?
・今後の学歴社会の在り方はどうなるべきか?
<筆者の考え>
社会人基礎力や就職基本能力の習得こそ、現在の教育の目指すものであると同時に、ゆとり教育が重要な能力として理念的に提唱していたものではないか?
1 学習課題
学力はどのように定義されるのが望ましいのだろうか?考えてみよう。
2 「学力低下」論の構造
①「学力低下」論の類型について
そもそも学力って何?という疑問。
「ゆとり教育」「学習指導要領の3割削減」を契機に4タイプの議論。
② タイプ1 「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」賛成派
〈主張の概要〉
・教育過剰論
・新自由主義的教育論
学校に適応しない、適応しようとしない児童生徒を無理して学ばせなくてもいいという考え方。
(その分の教育資源を優秀な児童生徒の教育に回して有効活用しよう)
子どもの生活において学校の占めるウエイトが大きすぎるので、家庭や地域社会と連携して子どもの教育に当たるべきであり、学校教育をもう少しスリム化すべきという主張。
☞ゆとり教育中心の教育を受けてAO入試で非ブランド大学に入学する
高等学校卒業後すぐに就職する児童生徒
or
旧来型に近い教育を受けて選抜の厳しい入試を受けてブランド第gカウに入学していく児童生徒
に分かれる
このような分岐を肯定的に捉える考え方。
学力が低い子どもを切り捨てようとする考え方だという批判もあった。
③ タイプ2 「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」反対派
〈主張の概要〉
・国際競争力低下論
・学習意欲論・階層化論
学力低下が一国の、あるいは当該社会の活力(ことに経済力)の減退につながるという考え方。
オイルショック後の欧米諸国を例に…
科学・数学の教育水準を引き上げるために実施されていた「現代化カリキュラム」が「人間化カリキュラム」にとってかわられる。
→単位取得が容易な非アカデミックを大幅に導入したことで、深刻な学力低下を招いたとされる!!
学力低下→基幹労働力の質の低下→技術開発のポテンシャルの低下・・・・→中期的に国家社会の国際競争力、経済的地位に影を落とす…
基本的に”生徒の自主的な学習に過度の期待を寄せず、児童生徒は将来自分にとって必要な学習を的確に把握しているわけではないという捉え方をしている。→本人の現時点での意思よりも、社会や学校が児童生徒の将来を見据えたプログラムを提供するのがよいという発想。
基本的に高学歴化は望ましいというスタンスであり、無理して帰る必要のないトレンドだと捉えている。
④ タイプ3 「児童・生徒の観点」から「ゆとり教育」賛成派
〈主張の概要〉
・児童中心主義的教育論
・体験型・参加型学習論
学習内容の削減に賛成というよりかは、ゆとり教育によって何が可能になるのかを重視し、そこで展開される教育実践を評価する見解。
<・・・環境問題、国際問題、情報化に伴う問題に代表される困難な問題を創造的に解決していく力を育てていくことこそ、今後の学校教育の最大の目的である。>
ゆとり教育によってもたらされる、総合的な学習の時間において展開される学習内容こそが、今後の学校教育に求められるモデルとなる。
受験競争から子どもを解放する→児童中心主義を現実化するカリキュラムの実行へ。
偏差値を基準にしてできる子とできない子を切り分けるのではなく、
それぞれの子どもがそれぞれの能力を生かせる社会づくり、つまり、多様な能力をもつ子どもがそれぞれ自己実現できる社会づくりを目指そうとした。
ゆとり教育には賛同するが、現行の改革を支持する派と支持しない派に分かれている。
⑤ タイプ4 「児童・生徒の観点」から「ゆとり教育」反対派
〈主張の概要〉
・学習権論
・「吹きこぼれ」論
学習内容の削減は、学習権の侵害ではないか。
削減された場合、裕福な層は私立学校へ行くか、公立学校へ行ったとしても塾などの学校外教育に資金を投ずることができるが、それができない家庭もある。
「落ちこぼれ」ではなく、「吹きこぼれ」の発生が加速するのでは?という見方。
ゆとり教育前は、学力の平均的な子に焦点を合わせていたが、
低学力の子が100点をとれるようにするために学習内容を削減するということで、楽しい学校づくりができるのか?
学力、能力、実力、とは何か?学歴とどのように関わっているのか?
「現実化したゆとり教育」は否定されたが、実際には、「理念としてのゆとり教育」は生きていると考えられる。
3 日本の学歴社会の展望
① 学歴社会のゆくえは?
筆者の見解では…「学歴社会はなくならない」
→社会の他の諸システムとも深い関わりを持っているから。
学制の改革というのは教育改革の中でも、最も大きな改革であると考えられる。
②学歴社会に変化は起きるのか
今までと全く同じ形で学歴社会が存続するかどうかは議論する余地がある。
社会状況の変化にともない、学歴社会の実態も変化している。
③学歴の効果
企業の「即戦力」志向が高まり、「学歴主義的な選抜」から「人物本位の選抜」へと移り変わっていると言われる…
しかし、「学歴スクリーニング」の実態は存在している。
→学歴は、ごく初期にしか効かない「期限付き資本」である・
④敗者をどのように納得させるか
学歴社会では、人々を競争に駆り立てるだけでは成立しない。
・競争へ駆り立てるもの
・敗者を納得させるもの
・見込みのないものをあきらめさせるもの
の3つがうまく機能すれば学歴社会は継続する。
つまり、この3つのうちの「敗者を納得させるもの」・「見込みのないものをあきらめさせるもの」がうまく機能しなくなった時に登場する。
パチンコ屋の新装開店のように、中身はほとんど変わらずに、装いだけちょっぴり新しく見える程度の進行で、微修正を加える。
4 まとめ
<学習課題>
学力はどのように定義されるのが望ましいのだろうか?考えてみよう。
文部科学省
学力とは 教育学の観点から
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/04/pdf/055-057.pdf
時代によって、求められる学力は変化している。
学歴社会は、社会の様々なシステムとつながっているためである。
時代の変化に伴って、今、もしくはこの先数年数十年子どもたちに必要な教育は何かと考えた上で、子どもたちに求められる学力を都度捉えなおす必要があるからだと考える。
昔は、知識・理解などの認知面の学力に重きを置き、近年では、関心意欲態度、主体的に学びに向かう力など非認知的な能力も重視されるように変化してきた。
変化の激しい社会の中で生きていくには、知識・技能をただ身に付けるだけでは不十分であり、むしろ、多様な他者と協働したり未知なる課題を解決するためにどのように立ち向かうかなどの社会にでてからも生きて働く力を重視する傾向が強くなっているように感じる。
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