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就職活動から社会人〜下積み時代

大学時代で自分なりに経験を積んで、自分を肯定することも少しできるようになった。それは彼女ができたり、バイト先で褒められたりと言ったこともあるけど、1番の要因はスポーツで少し結果を残せたことにあった。高校までと違って自分でスポーツを選び、大学から始められるマイナースポーツを選択した。気性の荒さで周りのみんなと協調性を持つことなんかはあんまりできなかったし、彼女を振り回したりと散々やったけど、気が強いことが幸いして大学4年間で全国大会なんかにも出れた。大学に自分の名前が祝出場の垂れ幕になるのが自信になったし、少し胸を張ることができるようになった。器用じゃない性格なので、結局スポーツは大学時代で終了することになるんですけど、細く長く続けておけばよかったと病気になってからは特に思う。ただ、親はあまりこういうことを知らない。勉強もせずにフラフラしてて就職どうするんだ!?勉強しにいくところだぞ!と顔を合わせたら言われ続けた。クラブ頑張っても何にもならないから。。。20歳も過ぎていたので入らなかった。

我が家はもともと学歴重視、学歴がある家柄でないから余計に子供にはそういう考えを持っていたみたい。親は一流企業勤めを誇りに持っているサラリーマン。そんな中で全く話が通じない末っ子には苦しんだとは思う。自分でも勉強は全然できなかったから期待にも応えられなかったわけやけど、就職は一発逆転のチャンスやと思った。一流企業に自力で入ればそれで逆転!?今はないけど当時は怖いもの知らずで自己肯定力も高かったし、就職氷河期ながら学歴重視の流れから変わろうともしていたから、一流企業でFランでも選考に差が出ない人物評価してくれるところに行こうと思った。ただ学歴の壁・社会の壁は高く、ことごとくエントリーで落ちた。自己肯定感が崩れていく、、、特にやりたいこともなかったけど、ここまでキツイとは思っておらず、、、。でも親が「コネで就職先を見つけてくるから心配するな。。。お前は無理や。。。」と言われたことで、奮い立った。よほど嫌やったと思う。
どうせ落ちるならと超強気に自分をアピールするようになったら選考に残るようになってきた。逆質問して、「学歴評価するような社風なら選考はこの先進みません」と面接時に強気に断ることもあった。若いって怖い。結果、就職氷河期ながら大手上場企業の内定を複数手にすることに成功した。その中で入りたい企業ランキングが1番高い4位だった企業に入社することになった。就職雑誌でも毎回取り上げられるような勢いがあった。。。(実は内定出るまで自分も知らなくて、滑り止め?くらいの感覚で最終面接を終えてた笑)その事実が周りを変えた。親は内定企業のことをよくわかっておらず、コネの企業に行けとしばらく言っていたが、会社の周りの方と会話して何百倍の競争率くらい入れない企業だと言われたらしく、これまでの態度を豹変させた。その事実にもがっかりした。

社会人になりすぐに家を出て一人暮らしが始まった。一人暮らしをするっていうのが会社の決まりだったので、実家から通える距離だったけど都心に住むことになった。仕事はほんとに厳しかったですけど、社会人の基礎は徹底的に叩き込まれた。きつかったけどそれなりに充実感もあって楽しかった。企業に入る時に、ある目標を決めていた。その会社の1番花形部門でバリバリ働くってこと。企業の中枢部署で誰もが憧れる職種。そこで働けるように下積みをしっかりやっていつかチャレンジしようと思った。その目標を変えられなかったことが人生を大きく変えることになるとはその時は全く思いもしなかった。
大きく販売部と本部に体制が分かれる企業で、入社したらまずは販売現場でしっかり基礎を叩き込まれる。そこで成果を出して本部にチャレンジする流れ。失敗を繰り返しながらも成果を出してなんと本部の花形部署から直接お誘いをいただいて一緒に働かないか?とのこと。突然のことでもうそんな入社時に決めた目標忘れていた時期。返事には3日しかなかったけど、フラッシュバックのように入社時のことやこれまでの人生のことが頭をよぎって逃げずにチャレンジすることにした。

うつ坊カウントダウンへ続く
photo:考える人@musee de rodin a paris

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