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『胡麻と百合』

3,017字


19世紀ヴィクトリア朝時代の
思想家であり、美術評論家である
ジョン・ラスキンの講義録。
二部に分かれている。

第一部は、読書について
第二部は、女性の力の及ぶ範囲について

全体的な感想として、
この人はイギリス人だもんなー、って笑
人間は単独では存在できなくて、
必ずそのバックグラウンドの影響を受けている。
背負っている。

その人の常識として
当たり前のように話していることが
騎士道だったり、階級社会だったり、
ロイヤルファミリーだったり、
シェイクスピアだったりの影響を受けている。

でもそのように、
自分はここから議論を展開していますよ、
というのがハッキリ見えて潔い。分かりやすい。

第一部 胡麻

まず、胡麻というのは、
「開け、ゴマ」のゴマです笑
アリババが発見した、洞窟の前で唱える呪文ですね。

「胡麻」には「王者の宝庫」という副題がついています。

ザックリすぎる要約は以下。

皆さんは、他人との交際を求めますね。
でも皆さんは、もっと有力な人々が
最良の知恵を授けた書物となって、
皆さまがページをめくるのを待っている
書物には目もくれないのです。

母親が我が子に教育を求めるとき、
多くが願うことは出世なのです。
私の息子にきちんとした服を着せてくれるような仕事、
二重扉をついた家に住まわせてくれるような仕事、
そのようなものを求めている。

教育とは、知識とは、
人間が精神的に偉大になり、
より潔癖な人間にしてくれるようなものであり、
道徳を強化してくれるような教えである。

王者の王権とは、
偽物の王権でなければ、
王者がある人物に行け、と言える力であり、
その人物が実際に行くような力である。
またある人物に来い、と言える力であり、
その人物が来る力である。

読書に関しては、
本当に賢明な人が、誠実に、親切に書いたものには知恵が詰まっている。
それを10ページ読むだけでも力になる。

人間の教養はどの言語を
どれだけ数多く知っているかではない。
どの言語であるにしろ、
一つの言語を完璧に操れることが重要である。

一つの書物を読むときは、
著者の思想の中に自分の考えを見出すためではなく、
著者の考えを知ること、
著者の考えの中に入り込むことが重要である。

私がミルトンをまずく読んだとき、
ミルトンはこう言っていたと思う、ではなく
ミルトンはこう言っていた、とハッキリと言えることが重要だ。

以上、眠気に襲われながらも💦再読した。

個人的に一番ハッとした箇所はこちら

p.114-115
27
大作家の思想に入り込めるようにこうして耳を澄ませた後で、
皆様はもっと高く上がり、(略)

皆様は近頃感情をめぐってたくさんの非難の声を耳にしました。
しかし私はこう申し上げることができます。私たちに必要なのは感情を低減することではなく、増強することであると。一人の人を他の人より、1匹の動物を他の動物より高貴にする差異は、まさに、一方が他よりも多く感じるという点なのです。(略)

p.116
私たちは感情のある存在であるかぎりにおいてのみ人間であると言えるのであり、私たちの尊厳は私たちの情熱とまさに正比例しているのです。

「プルースト=ラスキン『胡麻と百合』」 
ジョン・ラスキン著 吉田城訳 筑摩書房 1,990年

・・・感情を正しく使えるようになりたいものですね。

第二部 百合

続けて、「百合」について。
こちらは、「王妃の庭園について」と副題がついている。

p.170
53.
どの文学も教育も有益になるのはただ、(略)王者らしい力を強固にする限りにおいてなのです。
(略)そしてまた女性たちは、自己の家庭内ばかりでなく、活動範囲にあるすべてのものに対して、どの程度真に王妃らしい力を持つことができるのか、考えていただきたいと存じます。さらにまた、もし彼女らが、この王室らしい優雅な影響力をしかるべく理解し行使したとしたら、これほど有益な力によって作り出された秩序と美は、私たちが彼女ら一人一人の君臨する領土を「王妃の庭園」と呼ぶことを、どんな意味で正当化してくれるのか、考えていただきたいと思います。

「プルースト=ラスキン『胡麻と百合』」 
ジョン・ラスキン著 吉田城訳 筑摩書房 1,990年

素晴らしい表現力。
これこそ、魔法使いの使う魔法の言葉だ。
ハイ、努力いたします。

子どもの友達が
「かあちゃんに叱られるから」と
片付けをするとか、宿題をするとか言うのを
聞くとき、よそのお母さんはきちんと権力を行使できているなあ、
って思う。
自分には権力が足りないのではないか、と感じてしまう。

それに関連して、抜粋が前後してしまうが良かったところ。

p.187
68
(略)彼女が統治する家の内部には、彼女が自分からそれを求めにいくのでない限り、危険や誘惑や過誤の原因が入り込むわけはないのです。家庭の本質とは、それが平和の場所であり、あらゆる不正義ばかりでなく、あらゆる恐怖、疑惑、不和からの避難所であることです。そういう条件を満たしていなければ、家庭とは言えません。もし外界の不安が入り込み、見知らぬ人物、無情の人、敵などのような外部の軽薄な社会が、夫、あるいは妻から敷居を跨ぐ許しを得るなら、それはもはや家庭ではなくなります。それはもはや、屋根があり火があるだけの、外的世界の一部に過ぎません。(略)

「プルースト=ラスキン『胡麻と百合』」 
ジョン・ラスキン著 吉田城訳 筑摩書房 1,990年

シェイクスピアの女性像について
シェイクスピアの作品にはヒーローがいない。
ヒロインしかいない。
ハムレットは無気力、ロミオは、忍耐力のない子ども笑

p.182
64
(略)男性がその恋人に熱烈な服従を捧げるという、絶対的献身が見られました。私は服従と申し上げます。(略)
愛する女性がどんなに若くとも、その女性から、仕事の励まし、褒め言葉、褒美ばかりではなく、あらゆる難しい選択や解決困難な問題における行動指針までも受け取るような、完全な従属なのです。(略)
この騎士道は、若い騎士がその意中の婦人の命令にーたとえその命令が気紛れに発せられたものであってもー服従することを名誉ある生の根幹としていた、と。(略)
 (略)真に教養のある騎士道的な心はその恋人に盲目的に服従すること。この真の信仰、この隷属が存在しないところには、あらゆる種類の背徳的で邪悪な情熱がはびこること。青春のただ一つの愛に恍惚として服従することこそ、すべての男にとっては力の神聖化であり、意図の持続に他ならないということ。(略)

「プルースト=ラスキン『胡麻と百合』」 
ジョン・ラスキン著 吉田城訳 筑摩書房 1,990年


ラスキンは美術評論やゴシック建築の著書を著しているが、
宗教や文学の素養が深く、全然別のことを語っている時に、
ふっと引用されてそれらが漏れてくる。

読書について語られたこの書物の中で、
こんなに熱くロマンチックな思想が読めるとは思わなかった。

これはラスキンが男性だからこのような記述になるけれども、
両性を入れ替えても成立すると思う。

心からの愛情や献身のないところで
道徳もルールも、正常には機能しないように思える。

どの本に書いてあったか、
ラスキンは人の良心、というものを重視していた。

そういう話ってなかなか聞けないと思うのだ、世間では。
小学校の道徳の授業でない限り。

堂々と良心の話をしている、ということに驚いたし、
良心って本当に大切なものなんだな、と再認識した。



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