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『青い鳥』

 幸せの青い鳥、って、一つの固有名詞になっているぐらい有名なお話。

 幸せは実は自分の家の中にあった、ってことを、冒険して気づく話。これを原作の言葉で読んでみたくて、読んでみました。

 途中で奥付けを見て気づいた。訳者は江國香織さんでした。江國香織さんは、「ティルティル」と「ミティル」と訳されていて、途中まで「ティルティル」と「ミティル」とイメージしてたのだけど。

 途中から、そうだった、チルチルとミチルじゃん!と思い出したら2ページぐらいチルチルとミチルで進んだのだけど、すると今度は既存のイメージのベタなイラストのチルチルとミチルになってしまい、挿絵のチルチルとミチルはやっぱり「ティルティル」と「ミティル」だわ。江國香織さん、さすが、と思いながら読み進んでいきました。

 メーテルリンク作。メーテルリンクの作品をきちんと読んだことがなかったので、どういう人なんだろう、ってそこからワクワク。

 冒頭から、心をギュッと掴まれる。クリスマスの夜に、二人の家には今年はサンタが来なかった。そして、窓から見えるお金持ちの家のクリスマスのごちそうやケーキを見て楽しむ二人。

 そこに妖怪、じゃなかった笑、妖精のおばあさんが現れて、二人にダイヤモンドの飾りのついた不思議な帽子をくれる。病気の娘のために、この帽子をかぶって、本当の世界に行って、青い鳥を探してきてくれという。

 二人は飼っている子犬のティロウや猫や光(の妖精)や水(の妖精)やミルク(の妖精)や砂糖(の妖精)とともに冒険の旅に出る。

 途中で、死んだはずの妹や弟、おじいちゃんやおばあちゃんと会える「記憶の国」に行く。

 おじいちゃん、おばあちゃんは初めは人形のように動かずにいたが、二人が近づくと動き出した。死者は、生きている人に思い出してもらえた時に動けるのだという。

 もっと、定期的に、亡くした方に思いを馳せよう、と強く思った。

 それから、「幸福の館」と「不幸の洞窟」の庭は隣り合っており、霧のような、揺れ動く薄い膜一枚で繋がっているという。「幸福の館」で宴を楽しんでいたさまざまな名前の「贅沢たち」が、結局「不幸の洞窟」に自ら飛び込んで行ってしまう。

 ティルティルとミティルは、今まで見たこともないような美しい場所に立っていた。ふりそそぐひざし、連なる円柱、広々として、清潔で、大聖堂のような場所に。

 そして、そこにいた妖精は、ティルティルとミティルの家に住んでいる妖精たちなのだった。「健康でいるという幸福」は様々な幸福たちを紹介してくれた。(ネタバレすみません)

 「子供の幸福」たち、「きれいな空気という幸福」、「両親を愛するという幸福」、「青空という幸福」、「森という幸福」、「日のあたる時間の幸福」、「春の幸福」、「日没の幸福」、「星々がのぼるのを見る幸福」、「雨の幸福」、「冬の暖炉の幸福」、「無垢な心の幸福」、「朝つゆのなかをはだしで駆ける幸福」、「ただ存在するという大きな喜び」、「善い存在であることの大きな喜び」、「名誉の喜び」、「考える喜び」、「理解する喜び」、「美しいものを見る喜び」、「愛するという大きな喜び」、「人間がまだ知らない喜び」、「母の愛の比類なき喜び」…

 この物語で学んだのは、

小さな男の子の勇気のすごさ(人間の、目標をやり遂げようとする意志の偉大さ、怖れを乗り越える勇気のすばらしさ)、

小さな女の子はお兄ちゃんを頼って良いということ(お姉ちゃんと弟でも多分OK)

犬は人間に忠実で、勇気があり、頼れる存在ということ

猫は八方美人で、全く役に立たないということ(猫好きの皆さまは読まない方がいいかもです笑)

 自然界や動物たちを敵に回した人間はものすごい恨みをかっている可能性あり。

 自然や動物たちを苦しめないように生きていこう(すごく大きな結論になってしまった)

 一番の収穫は、身近に存在する幸福たちに気づいたことですね、もちろん。


『青い鳥』  モーリス・メーテルリンク/作 江國香織/訳 宇野亜喜良/絵 講談社 2013年


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