KPOPについて思うこと

私は嫌韓である。
20世紀に入り、日本はアジア地域を欧米列強の植民地支配から開放した。当時の韓国はロシアや中国の脅威に無防備で、日本が自国の国家予算の何倍もの費用を使って近代化を果たした。
上下水道の整備による衛生面の改善、道路の舗装、ハングルの復活、ほとんどつぶれていた朝鮮王朝への支援、学校制度の整備、かくして朝鮮は人口爆発が起こり、平均寿命が3割伸びたのである。
なのに反日である。日本の朝鮮に対する努力を素直に受け入れられず(感謝しかなくなるので)すべてを逆に伝えている。日本人もほとんどが信じてしまった。
私はそんな韓国の文化に長い間、見向きもしなかった。

身近なヒトにKPOPのファンがいる。話すたびに熱心にKPOPを夢中で語りだして止まらない。前から少しはきになってはいた。同期がニジュウにはまっていたりしたからだ。
じゃあ、ちょっと聞いてみるか、といったん嫌韓の自分は横におき、youtubeで聞きはじめてみた。確かにノリはいい。洋物のポップスである。ダンスはインド的な激しさ。妙な組み合わせだなと思った。中東やインドでも人気なのがわかる。最初は皆同じ曲のように聞こえた。耳障りの良いアップテンポに激しいダンスと全員がパートをもって、パートのときはセンターに出る。
しかし、どことなく80年代、90年代のアメリカンポップスのような後味、おじさんからすれば、その頃のアメリカンポップスを夢中で聞いていた頃を段々と思い出す。音楽がなくなったら死ぬのではないかと、本気で感じた頃。おそらく彼らは洋楽と同じものを目指して作っているだと思う。だから、すべてがどことなく懐かしい装いをしているのである。あんなに激しいダンスなのに不思議な感じである。このまえのアイブのアフターライクなどは、アメリカの半世紀近く前にヒットしたアイウィルサバイブからのサンプリングだというのも、納得である。まさにそういうミュージックなのである。最初はエスパとルセラフィムの区別もつかなかった、おかっぱのチェウォンとウインターが同一人物に見えた。最近はしっかり区別できる。ここ半年ぐらい、毎日しっかり色々聞いている。カムバックとかいうやり方も理解できるようになった。昔聞いた耳障りの良い曲がKPOPだということもわかってきた。アーティスト間での衣装のかぶりや、ミュージックビデオのパターンの模倣など、いろいろ日本人としてアウトだろうと思うことも多多あるが、それも文化だと飲み込んでしまえば、かなり新しい発見の多いジャンルである。
 もやもやした模倣な感じは、時々するけれど、抜群のルックスに確かな歌唱力とキレキレのダンスの組み合わせを表現として見せられ続けると、いや、これはどこの国にもない音楽とは別のアートとして新しい領域ではないかと思い始めている。音楽評論家が、見せるポップスと言っていたが、それに近い。彼女たち彼らたちは、表現者として徹底的に自分を追い込み、壮絶な練習量をこなし筋トレをし、表現することに喜びを見出している。彼らはアスリートでありアーティストなのだ。これは日本のアイドルや歌手と違う。日本だと歌はうまいけど、ルックスはそんなに、とか、ダンスキレキレだけど、歌はいまいち、可愛いけど歌はどうかな、とか、何かに我慢していた。KPOPは違う。すべてトップレベルにある。我慢しなくて良い。まるでスーパーマンである。おまけに、日本のポップスは、歌詞をとうとうと聞かせて涙もらおうとするパターンが多く、気持ちが上がらないものが多い、また、そういう曲のほうがレベルが高いとみなされがちな風潮もある。これらはみな、艶歌、演歌、である。悪くはないが、もっと気持を上げてほしい。エンタテイメントにかえってほしい。KPOPの出番である、ほぼ全てが気持ちが上がる方向で作られている。ダンスも目が離せないほど、素晴らしい。このような表現、アートはKPOPならではのものとして成立させている。
芸術もスタートは模倣からはじまる。そういう意味では理にかなった進化を遂げている。
 さらにKPOPがアートだと私が確信するのは、ルセラフィムの、カズハがクラシックバレエのかなり実績のあるアーティストからの転身であること、ユンジンがオペラなど古典的な声楽を極めていること、などの背景がある。クラシックの一流に近い表現者をKPOPの表現者に転身させていることだ。彼女たちは、自分たちの今のKPOPの表現に心から喜び、全身からその喜びを発信させながら歌い踊っている。その姿は何回も見てしまう。特に初期の頃はカズハに、笑顔が少なかったが、最近は自身に満ちた笑顔でカメラ目線でパフォーマンスを披露している。抜群のルックスだが、柔らかいアスリートの筋肉が垣間見え、youtubeなどでは無限に腹筋する姿などもある。彼女の思い切りの良さ、20年近いクラシックバレエの経験をあっさりとKPOPに転身させた、その決断力はいつ考えて見ても惚れ惚れするものだ。ユンジンもそうなのかもしれない。
 見るたびに彼女たちの決断力を想像し、その素晴らしさを感嘆しながら、何回もMVを見ている。自分にもそのような強い力がみなぎるような気がしてくる。
 さらに、JYパークに興味は飛び、MVの中でアジアンソウル、と言っているように、彼の音楽はソウルだ。日本の桑田佳祐が、ソウルらしい、彼もソウルだと感銘を受けたらしい。それは気が付かなかったが。ただ、JYパークのグルーブバックは、まさに、帰ってきたソウルだ。彼はトワイスなどトップのKPOPアーティストを抱えている会社の社長もしているが、アーティストにはどことなくソウルのベールがかぶされ、それがスパイスとなってヒット、何回も繰り返し聞いてしまう中毒性をもたらしている。彼のなすことは何もかも素晴らしい。おじさんが政府の役人をしていたりとインテリの家系でもあるようだ。インテリも彼に深みをもたらしている。
マーケットが小さく、音楽は米国を目指さなくてはなかったのかもしれない。日本は日本で食えるので、ガラパゴスになったのだろう。まあ、当面は私の気持ちはKPOPで上がることは間違いないので、聞き続けるだろう。日本も涙もろい曲ばかり湿っぽくやってるのではなくて、明るく目線が上を向くような曲が広がってほしいものだ。

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