読書について書くなどしてみたい
みなさん、おつかれさまです。くろみどり先生です。
最近は朝晩の気温差が大きくてしんどいですね。どうか無理をなさらずご自愛くださいますよう。
さてさて、先月noteを始めまして、月に一度は投稿したいなあ、とぼんやり思っていたんですが、目標を達成できて嬉しいです。
書きたいことが多すぎて(そしてまとまらなくて)どうしたものかと思っていましたが、今月分はなんとかなりそうです。
今日は、最近やっと楽しさがわかってきた読書について、ゆるゆると書いてみたいと思います。
ほんの数年前まで、私はほとんど読書をしてきませんでした。本屋さんに行くのはもともと大好きなんですが、買うのはいつも漫画ばかりでした。
たまに、好きな作家さんと新たに出会えたときに、同じ作品を何度も読み返したり、シリーズでわーっと買ったりしてたくらい。
そしてシリーズを読み終わると、読書の熱が下がり、ぱったり読まなくなる。本屋さんに漫画を買いに行くついでに文庫コーナーに寄り、「電波を受信する(ここでは好きな作家さんや本に出会うの意)」ことを期待しつつふらふらする。
少しは精神的に大人になれそうだから、なんて理由で純文を読み漁っていた時期もありましたが、まあ、数年前まではだいたいこんな感じでした。
そんな中です。
ある日、友人と一緒に神保町に初めて遊びに行きました。そして、そこで視界いっぱいの本(そして本屋さん)を目の当たりにしました。
衝撃的でした。
それがなぜかはまだ言語化できていないんですが、心の底から「本を読みたい」という気持ちが湧いてきたんです。
私はあるお店で1冊の本を買い、帰りの電車の中でまさに没頭して読みました。すごく満ち足りた気持ちになったことを今でも覚えています。そして友人に感謝しました。
長々と昔話をしてしまいました。
最近はそれはもう四六時中読書をしています。
特にお酒をちびちびやりながらする読書なんて最高ですね。お酒と言語が心と身体にしみわたる感覚がします。普通に酔っぱらいですね。
本を買いに本屋さんに行くところから読書が始まっていると思うので、本は基本的に紙派です。ですが移動中は電子書籍を活用することもあります。
数年前までは、自分がこんな本の虫(自分のことをこう呼べる日が来るなんて!)になるとは思ってもいませんでした。
あまり得意ではなかった純文も、(ちょっとだけ勉強もしましたが)今ではすいすいしみこんでくるように読めます。
数十年前の作品であっても、筆者あるいは登場人物の抱える闇のようなものと自分の悩みがリンクする感覚があります。
時の試練を超えた名作には、やはり特別な味わいがあるんだなあ、なんて素人意見を持ったりもしています。
読書をするようになって、生活に彩りが増した気がします。本当によかったと思います。友人と神保町のみなさんに感謝です。
余談ですが、読書の魅力についてよく生徒たちに訊かれます。
そういうとき、私個人の思いとして、自分と遠いところにいる人(境遇や価値観が違う人)のことを理解・想像できるようになるよ、と答えています。これからの時代、そういう姿勢はすごく大切になる気がするよ、と。
すっかり長文になってしまいました。やっぱり文章をまとめる力をもっとつけなきゃいけませんね。もっと読書しないと!(笑)
お酒のことにも少し触れたので、いつか改めてまとめて投稿したいです。
ではでは、今月はこの辺で失礼します。読んでくださった方、ありがとうございました。
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