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石ころだって磨けば光る、人生だってきっと。

おはようございます、こうして少しづつ私の書いたエッセイをアップさせていただいているのですが、読んでいただけるというのは本当嬉しいものです。

これは、元々昨年11月に書いた記事ですので、思いは変わってきているのですが、当時の私が思ったこととしてお読みいただければと思います。

私自身は、文章を書くのは好きですが決して上手だと思ったことがありません。

というか、自分はプロの作家でもないから上手に書けないんだと思い込んでいるのでしょうね。(でも、今は違いますけどね。本気で出版を目指している。まだまだハードルは高いかもしれないですが。)

いわゆる「意識低い系」です。笑

でも、それは卑屈になっているという意味ではなくて常に自分を磨くためということだと自分で言い聞かせています。

4年ほど前になりますが、嵯峨野観光鉄道の19世紀ホールにある蒸気機関車の中で2か月ほど働いたことがありました。

嵯峨野観光鉄道に出入りしていた業者(私を最初に騙した張本人ですけど、三顧の礼で頼まれて仕事手伝ったのですが)

まぁ、この時も結局約束を反故にされたて、今から考えればかなり安い額で仕事を受けたうえ、1か月だけお金もらってそれ以後はただ働きだったことを考えるとちょっと腹立たしいのですが、直接その話とは関係ないのですが。

当時19世紀ホールに保存している蒸気機関車を更にきれいに磨いてみようということで、自主的に安全弁などを真鍮磨きでお客様が来るまでの30分ないしは1時間程度そうした時間に充てたんですね。

真鍮はご存じのとおり、磨けば磨くほど輝きを増すんですね。

人間もきっとそうだと思うんですよね。

「磨かなければすぐに曇ってしまう、いわば見向きもされなくなる。」

「でも、丁寧に磨けばいつまでもその輝きを失わない。」

人の行動も、文章も、磨かなければ曇ってしまうし。輝きすら持てなくなると思うんですね。

「自分の書く文章は最高」、と思ってしまう時点で成長は止まるんですね。

まぁ、私自身は学歴を自虐ネタに以前は良く書いていました。

「中学浪人したのは僕だ」、とか「高校しか出ていないのは僕だ」みたいなね。

でも、ある日私は宣言しました、これ以上は自虐ネタにはしないと。

その気持ちは今も変わりません。

そして、誤解のない言い方をさせていただければ、「石ころ」だからこそ、「磨けば」多少なりとも輝きを増すのではないかと思っているんです。

ダイヤやサファイアにはなれないけれど、せめてクリスタルの輝きと言って頂けるようになれたら嬉しいじゃないですか。

私という存在を、磨きあげるために、自分の文章にも満足することなく、明日はもっときれいな文章を書け、もっと。もっと・・・そういった思いで書いているんです。

でも、なかなか上に上がれないんですけどね。苦笑

でも、こうして苦しんでいると時々ふっと文章の神様が下りてきてヒントを与えてくれるんです。

だから、懲りずにこうして文章を書いているんです。笑

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