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本分について考える

今日は、本分と言うことで思うことを書いてみようと思います。

「本分」

コトバンクを参照しますと以下のように書かれています。

デジタル大辞泉「本分」の解説 ほん‐ぶん【本分】 人が本来尽くすべきつとめ。「学生の本分をわきまえる」
そのものに本来備わっている性質。
と言う意味らしいのですが。

コトバンク

まぁ、例文で書かれていますように。

「学生の本分」という言葉が引用されていますが、これは男性・女性についても言えることではないでしょうか。

もちろん、能力のある女性が管理職になってバリバリ働く、若しくは議員になって働く・・・これももちろん有りです。

これを否定することはありませんが、何でもかんでも平等とか、性差を考えないジェンダーフリーなる考え方には正直同調できません。

男性には男性の本分が、女性には女性の本分があります。

男性は、狩猟時代からの性質で、時に獲物を捕獲してくる。

そのために性格はどちらかと言えば粗暴で、力が優先される・・・そんな本分が形成される。

その逆に女性は、子供を産み育てると言うことから、遙か昔には、女性は略奪の対象であったとも言われている。

同族ばかりになると近親婚になるのでそれを避けるために他の部族を襲って女性を略奪してくるなんてことが行われていたわけです。

ただ、女性が子供産み、育てることで生命は維持されその遺伝子は次の世代へと受け継がれてきたわけで、そうした長い長い歴史・・・まぁ宇宙誕生のビックバンから比べればほんの僅かな時間ですが。

そこから、女性には母性本能が発達し、こどもを育てるために一点注視ではなく全体をフラット眺めることができる。

その反面、遠くに狩猟に行ったりするわけではないので、空間認知能力や方向感覚などは育ちにくいと言う特徴が有ったりします。

もちろん、時には性同一障害と言うことで、自分は外観は男であるけれど内面は女であるという人もいるし、その逆も然り。

又、そこまで行かなくともいわゆる同性愛者なるものも居てこうした社会的少数者[マイノリティ]を主張する運動が有ったりしますが、それをいたずらに声を上げ続けるのはどうかと考えてしまうわけです。

まず、本分をわきまえた上で、私は何ができるのか。

もちろん、体は男だけど心は女なのだというマイノリティな男性の場合は、その立場で自分のできること。

力仕事は不得手だが、全体を平面的[フラット]に眺めて問題点を発見するのが得意な人であれば、いたずらに「マイノリティ」なる運動に参加してデモなんてしなくても。自分ができる本分を生かして、社会に貢献する方がよほど社会にとっても自身にとっても生産性があることじゃないかと考えています。

女性も然りですよね、どちらかと言えば、親分肌な女性ならば、その本分で決断してどんどんしていく、それもありだと思うわけです。

何でもかんでも、ジェンダーフリーなどと言ってしまうのは、むしろ本来に本分を生かせなくなってしまうと考えてしまうわけです。

フェミニストとか言って、運動する女性もいますが、男性の側からすれば正直賛同できない。

結局そんな風に声だかに言うことで、女性の本分を殺してしまって、女性にも不利益を与えることになると考えてしまいます。

雇用機会均等法が生まれる前には、女性の深夜帯での勤務などはかなり厳しい制限が設けられていました。

鉄道の運転士などが男性の職場だったのはそうした母性保護の観点から深夜労働や危険労働をできるだけ避けることで女性の本分を守ってきたからに他ならないわけです。

まぁ、賃金差別であったり退職年齢の差別などと言う別の問題もありましたが、それは別としても少なくとも母性保護という観点はしっかりしていたわけです。

それが、女性も自由に働きましょう・・・しかし、子育ては自己責任ですよ。

結果的に、どちら付かずになって混迷しているのが今の日本でしょう。

男性は男性の本分。女性には女性の本分・・・今一度もっと真剣に皆さんが論じるべき時ではないですかね。

もちろん、学生には学生の、こどものはこどもの本分がある訳ですから。

こどもに教育的指導で体罰をしてはいけない、体罰の定義を厳格化しないとまたぞろ意味のわからないことで、更に社会が疲弊するなんてことにもなりかねません。

そんな気がしてなりません。

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