見出し画像

マルチという言葉から思うことを思うままに書いてみる


マルチと言う言葉はすでに日本でも一般的で、マルチタスクとかマルチタレント、マルチ商法なんていう言い方などで使われますが、マルチ自体は、 「複数の」を表す接頭語。 ということで、他の名詞などと繋がって一つの言葉を指すわけですが、少なくとも「マルチタスク」だと、「複数の作業」ということで、意味は通じるのですが・・・というか、「マルチタレント」は「複数の才能」と言う意味では判りますが、人気ある人、スターという意味合いで行くと、「複数の人気ある人」などとなって意味不明ですよね。

画像1

時に、私たちはこうして不用意にも、外来語をそのまま持ってきて十分に言葉を吟味しないままに、導入してしまうことで結果的に意味不明になっていることが多いように思えます。

そして、もう一つ危惧するのは、日本語の理解も十分でない子供に英語を学ばせるのはどうなんだろうかと思いますね。

日本人が日本人らしさ、敢えて外来語で表現すれば、「アイデンテイティ」ですね。

同一集団性という言い方でも良いでしょうか。

そのように、日本人でありえるのは、習慣とかしつけではなく、日本語を解すると言うところからスタートすると考えてしまいます。

日本に生まれた外国人であっても、それは同じだと言われています。

時々、犬の鳴き声を、日本人は「ワンワン」と表現しますが、外国人では「バウ・バウ」と聞こえると言うことを聞いた事があります。

また、日本では、雨音も、シトシト、ザーザー、ドサーと言った具合で多数の擬音で表現したりしますが、こうした音の分け方が出来るというのは、日本語という構成においてそうした音の表現を持っているからと言えます。

それ故に、子供の頃にはきれいな日本語(標準語で話せと言うことではなく、野卑な言葉を使わないと言うことです)を沢山獲得することが重要になってきます。

きれいな日本語を沢山獲得することで、より表現力が豊かになり、更には感受性も豊かになると言えるのではないでしょうか。

逆に、日本語を十分に獲得しないで大人になってしまうと、言葉が理解できない、もしくは社会常識が欠如してしまうと言ったことが出てくるように感じてしまいます。

ちょっとまとまりがなくなってしまったので。この辺で

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?