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寛容について考える

「寛容」という言葉について思うことを書いてみたいと思います。

寛容という言葉を辞書で引いてみますと、

1 心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。

と書かれていますが、

goo辞書

この二つの漢字を一つずつ見ていますと、

「寛」は、心が広いとか、くつろぐと言った意味があると言われており。

「容」は、入れるとか許すという意味があるとされています。

許容なんていう言葉にも使われますからね。


この二つの言葉をそのまま当てはめれば、広い心で許すと言うことになるわけですが、寛容と言う概念は明治以降に入ってきた考え方とも言われていますが。
その辺をwikipediaでは下記のように書かれています。
もちろん、wikipediaの記述が全て正しいと言う意味ではなく、こうした考え方があるという視点で考えていただければと思います。


日本語の「寛容」は、明治になって翻訳された語で、英語"Tolerance"の語源は、endurance、 fortitude で、もともとは「耐える」、「我慢する」という意味をもつ言葉である。次第に「相手を受け入れる」の意味をも含むようになったが、無条件に相手を受け入れるというより、自分の機軸にあったものだけを許す、という意味あいが強い。

ここに書かれていますように、当初は忍耐という意味合いで導入されたものの、仏教的意味合いの「許容」と言う意味にも使われるようになったとされています。

ストレスの多い現在社会では、「許す」という気持ちは非常に難しいと思います。
世間では、謝ったら負けだという風潮もあったりしますが、謝ることはそれほど恥ずかしいことでしょうか。
謝ると言うことを負けだと考える人は、「勝つことだけを教えられて育った」、ある意味「心は不良品」なのかなぁと思ってしまうわけですね。

謝ることが出来ない人というのは、更に言えば、「心に余裕がない人」なのかなぁと思うわけですね。
「心に余裕のない人」ほど、自分に対して寛容で、逆に他人に対して厳しい人が多いように思えるのです。

自分の心に余裕がないから、取りあえず薄い防御壁で守っておこうという感じでしょうか。
心の余裕のことを、私はいつも「心のバッファー」と言う表現をしていますが、
心の余裕がある人は、このバッファーが厚いですから、多少の振動ではびくともしないわけですね。

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その反面、「心の余裕がない人=バッファーが小さいもしくは殆ど無い人」はちょっとした振動で大きく揺れるものですからヒヤヒヤしてしまう。
すなわち、すぐ怒る。
そうなるわけでしょうね。

それを避けるにはどうするべきか、一番良いのは環境を変えることなんですね。

孟母三遷
子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切であるという教えではないですが、環境がその人を育てると思うわけです。
出典:goo辞書
孟子の母親は、孟子のために3回、子供のために、その居を変えたという有名な話

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引っ越せる人であれば、少しでも良い環境のところに転居する、それが叶わないらば、心のバッファーが広い人と積極的に付き合うようにする。
心のバッファーが厚い人と付き合っていると、だんだん自身も感化されて、自身もバッファーが厚くなり、逆にストレスが多い、バッファーが少ない人が多い場所や、付き合っていると、だんだんと心に余裕がなくなっていくような気がするのです。

自分自身を変えたかったら、まずすべき事は、まず自身の環境を変えてみることから始めるべきではないでしょうか?

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