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知識は、作用と反作用?

とあることで、Facebookのお友達へのコメントで、こうじゃないかなぁと自説を披露したまでは良かったものの、こうじゃないの?と言った疑問をいただき、更に自分で調べたという事が以前ありました。

決して論破しようとかではなく、自分の勝手に思い込んでいた間違った知識をベースに、補強出来る資料を探していたわけです。
しかし、どこを探しても、自説に沿った記事が出てこないわけです。

どうやら、私自身が思い込みで書いていた部分があったのではないかと思って、改めてキーワードを変更して探してみるわけです。

そこで、自身の間違いに気づいたわけです。

素直にお詫びするとともに、訂正した内容をアップしたというオチがついたのですが、人は、思い込みで書いてしまうことが多いんですよね。

特に、なまじ自分が詳しいとか、専門家であるとか言い出すと、中々自分の考えを曲げることが出来ないように思います。

自説を曲げたら負けと思ってしまうのでしょうか。

そして、自分の考えに固執するあまり、○○すべきである・・・的に書く人が多くて。苦笑
ネット上でよく見かけるのですが、実は30年ほど前の鉄道趣味誌の読者欄などでも、同じような論調で書いているわけですね。

寝台列車をもっと拡充すべきである・・・とか、新特急なる種別は実質急行列車であるから、急行列車に改めるべきである・・・とか。
およそ、皆さん自説を披露されているわけですが。

そうした言い切れる根拠はどこにあるのかなぁと思うわけですね。

結局そうした発言に対して賛同する意見でなければ絵に描いた餅にしかならないわけです。

○○すべきである・・・というのなら。
その後に、必ず、その理由は○○しかじかであるから。
もしくは、○○な事実があるから、こうなる。
と言った理由というか証拠がいるわけだと思うのですが、自分の意見だけを述べるからおかしなことになってくる。

これを中学校で習うと思うのですが、「作用と反作用」(いわゆるつり合い)で考えると判りやすいかなぁと思うわけです。

○○すべきである・・・と言って押し切ってしまうと、そのまま意見としてのめり込んでしまう、でも、その理由は・・・的な意見を添えれば、反作用よろしくそれが押し上げられてくる。
ちょうど良い具合の「作用と反作用」が釣り合うところに持ってくれば、その意見に賛同する人も出てくるし、そうでない人も出てくるけれど、議論が出来る対象になるわけです。

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いかがでしょうか?
案外、日々の発言も「作用と反作用」と言う視点で考えれば自らの思考にも幅が出てくると思うし、一目置かれる存在になるのではないでしょうか

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