見出し画像

「怒り(いかり)」と、「碇(いかり)」

今日は「怒り(いかり)」と、「碇(いかり)」について言葉遊びしてみようと思います。

人は感情の生き物ですので、喜怒哀楽の情は誰にもあります、むしろ、感情がない人というのは殆どいないのではないでしょうか。

怒りとはどこから来るのでしょうか?
理不尽なことをされたとか、自分の思い通り行かなかったとか、色々な理由があるかと思います。
子供の場合は、自我を獲得する中で、そうした反抗することを覚えて行くと言われています。
第一次反抗期と呼ばれる時期がそれで、何でもイヤイヤと言ったりする。
別に母親が嫌いとか、そうした感情ではなく、○○しなさいと言うことに対して、とりあえず自分としては反射的に、イヤイヤと言ってみる。
そこには、動物的な反射のような反応なんですよね。

そのうち、色々な経験などを積んでいく中で、自我の欲望が全て受け入れられないことを知って、子供は成長していくわけです。

そうした中で、子供は、善悪を知り、社会の仕組みを学んでいく事になります。
ここで、ふっと頭に浮かんだのは、ジョン・デューイの『学校と社会』でした。
理想的な学校教育を目指してということで、書かれていた本ですが、理想的な環境で子供を育てるというのは難しい中で、学校で、もしくは家庭で、はたまた学童保育の教育の中で、特に低学年の子供には、「怒り」と言うことについてきちんと教えてく行くべきではないかと思うんですね。

6歳程度で、概ね基本的な運動機能は完成しますが、精神的には小学校三年生位までに人格の完成を迎えると本で読んだことがあります。

ですから、小学校で低学年・高学年という分け方をしているのは、理にかなっていますし、シームレスに6年生までを一気に育てるのは集団生活を学ばせるという上でも。理にかなっているわけです。

また、話が脱線してしまいましたが、そんな小学校3年生までの子供には、「怒り」という感情のコントロールをするべきなんですね。

感情にまかせて怒るのと、その怒りをコントロールできる、「碇【アンカー】」をもっているか。
どんなに怒っても、ある一定の範疇からは絶対に動かないという信念ですね。

もちろん大人が持っていることは、もちろんですが。
子供に対しても、持たせるべき何ですね。

例えば、

怒るとものを投げる癖がある子供だったら、その場で叱る。

なぜ、ものを投げたらダメなのか?
頭ごなしに叱るのではなく、筋道立てて叱る。

あなたが投げたものが、相手に当たったらどう?
あなたが、相手からもの投げられたらどう?
自らの答えで、それはいけないと言うことを教えていく。

こうしたことが大事なんじゃ無いかなぁと思うわけです。

まぁ、この逆をすると、自己啓発で良く言われる、「子象の話」なんですね

画像1

子象のうちに捕まえて、太い杭に繋いでおいて、逃げられないと思わせておく。
象は成長しても、逃げられないと思って逃げないというい話であったかと思います。


だから、社会生活していく上で、外してはいけない部分、

人を傷つけてはいけません、とか、

人をいたわるこことを持ちましょうとか、

嘘をついてはいけませんとか・・・

そんな言ってみれば人が生きていく上で最低限必要な言ってみれば

人生の碇【アンカー】を子供のうちにしっかりと打ち込ませていく

のが教育者の役目なんじゃないかなぁと思うわけです。

まぁ、教育者でも何でもない、市井のおっさんがこんなこと書いても何の権威もないですが。
少しでも共感してもらえる人がいたら、是非とも実践して欲しいなぁと思ってしまうわけです。

ちょっと朝から思うことを思うままに書いてみたらなんともおかしな文章になってしまいました。
やっぱり私の頭のネジがどこか緩んでいるというか、外れているんでしょうね。苦笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?