受験

あんたは、いっぺん受験しなさい。

高2の冬かな。競泳でスポーツ推薦をもらっていて

「受験すんのめんどいし、そっちでいこうかな」

なんて思っていたときに、

母親が「あんたは、受験せい!」と言ってきた。

「なんでだよ!」と理由を聞くと

「高校も推薦で入っていて、あんたは受験ってもんを知らんだろ!」と。

そしてかぶせるように

「あんたは水泳でメシ食っていくんか?」と問うてきた。

「あたりまえだ!」と

まだ勢いがウリの高校生なりに、

売り言葉に買い言葉でも言えなかった。

この頃から、進路ってものは

けっこう真剣に考えるようになった思う。

何でメシ食ってくんだと。

その「何してメシを食っていく?」の問いは

20代ずっと解決しなかった。

25歳から、広告をつくる仕事には就いていたが

この道で食っていくなんて決心

これっぽっちもなかった。

ディレクション?デザイン?コピー?

どれが自分にあってんだろうか。

模索ばかりしていた5年くらいだったと思う。

このときは、楽しかったけど苦しかった。

やっている仕事の先にある

ゴールが見えてなかったから。

不安しかなかった。


でも、ずっとずっと探していたから

30歳のときかな、

やっと「コレだ」ってヒントに巡り合う。

糸井重里さんの言葉だった。

長いけど、引用しますね。

 仕事って、10年続けたら一人前っていいますが、
 プロフェッショナルになるということは
 日常生活を送ることが不便なくらい
 体や心のどこかが変形することなんですね。
 小説家だったらペンだこができたり、
 人が傷つくかもしれないことについて、
 小説家であるがゆえに、
 あえて書くことを優先するようになったりだとか。
 競輪の選手だと太ももが太くなるし、
 テニスの選手なら右手の筋肉が肥大します。
 でも、コピーライターには何もないんです。
 44年やっていても、たこもできなければ、
 右手が太くなっているわけでもない。
 やればやるほど、ふつうの人になっていくんです。
 どんどんよけいな筋肉がなくなって、
 インナーマッスルだけで体を支えているような
 感じといえばいいのかな。
 ふつうの人以上に、ふつうのことを考えられる。
 そういうところで、ぼくらはごはんを
 食べていけているのではないかなと思います。
 今日いただいた賞も、
 『ふつうの人』というあかしです。
 でも、『ふつうの人でも、なんでもできる』
 というのが、ぼくのずっと思っている
 人生のコンセプトのひとつです。
 これからも、ふつうに磨きをかけた
 取り柄のない、平凡な人として、
 これからもやっていきたいと思います。」

もう衝撃だった。

この言葉を聞いて

『ふつうの人』になりたい!

ってめちゃくちゃ思ったんですよね。

「デザインじゃなく、言葉だ」って

定まった瞬間だった。

みなさんはわかると思うんですが

この「ふつう」って、普通じゃないんですよね。

一生コピーライターやって、

その域にたどり着けるかどうか。

終わるかどうかもわからない冒険を知ってしまって

もう好奇心が止まらなくなってしまったのです。

いま、この道を絶賛歩いています。

あの時、

母親が「受験せい!」って言ってくれてよかった。

浪人してでも受験してなかったら、

受験生の気持ちを知らない

コピーライターになっていたから。

まだまだ知らないことは世の中にありすぎる。

もうどこから手をつけていったらわからないくらい。

タスクだったら崩壊している、

とか言ってしまいますが

「崩壊、バンザイ」状態です。

きっと明日も未知なことに出会う。

毎日、キョロキョロしてます。

キョロちゃんと呼んでください。

経験ないことで、今しかできないことは

マジで買ってでもやろう。


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