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私のこと、なんにも知らないんだから──最後のナンパ【後編】


この話の「後編」です。


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最後に言われた「私のこと、なんにも知らないんだから」という言葉が印象に残る、彼女(アキちゃん・当時29歳)との短い物語。今から 5年ほど前。僕が40歳のときである。


有楽町で酒に酔い、久しぶりにナンパでもしようとして、彼女を見つけた。有名美大出身で、三戸なつめに少し似ている女性。

その後に行ったショットバーで、彼女は酔いつぶれてしまい、タクシーに乗せて家まで届けることにした。

ホテルに連れ込むには、彼女は初心うぶで純粋過ぎた。


そのままタクシーに乗せて、ドアを閉めれば何事もなかったのだが、僕はなぜかタクシーに乗る直前の彼女を抱きしめてキスをした。

タクシーを見送る僕の手には、彼女からもらった名刺が握られていた。



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翌朝、僕は会社のデスクから、彼女の名刺のアドレスにメールした。

僕の会社の取引先でもある紙専門の商社。
彼女はそこのデザイナーだった。


「昨日はありがとうございました。ちゃんと家に帰れましたか? 飲ませ過ぎてしまってごめんなさい」

「お疲れ様です。ありがとうございました。帰れました。昨日は、なんでキスなんかしたんですか」

「ごめんなさい、つい、可愛いと思ってしまって……」

「すごくショックでした。私は誰とでもキスする尻軽女だって、タクシーの中でずっと自分を責めてました」

「ごめんなさい、埋め合わせをさせてください。近々ご飯でも行きませんか?」

「付き合う前提とかじゃないなら、OKです🙆‍♀️」


なぜ、メールをしたのか、と思うだろう。

中途半端なことをしたものだ。そこが僕の悪いところ。



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数日後、行ったのは門前仲町の寿司屋。「お寿司がいい」と、彼女が言ったような気がする。

再会した最初を覚えていないのだが、気まずいやり取りはなかった気がする。むしろ、少し喜んでいたような。

彼女の格好は相変わらず奇抜で、この日は赤のハイネックのニットに、黒いサテン地のワンピース。スタンダールか! 江戸情緒が残る門前仲町で完全に浮いていた。


彼女はカウンターの寿司屋が初めてで、喜んでいたのを記憶している。

北寄貝を「きたよりがい」と読んで、大将から笑われていた。服装もメイクもアーティスティックに極め込んでいるのに、そんな初心なところが彼女のかわいいところである。

とても楽しく時間が過ぎた。


彼女に興味があったことは否めない。

アート系の女性が好きだったし、かわいい性格をしていた。

しかし、その後どうしたいかは、自分でも分かっていなかった。もう少し彼女が知りたいというのが本当のところだろう。



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次は、土曜日に丸の内ピカデリーで映画を観た。

何の映画だったか記憶にないが、彼女が僕の腰のポーチを見て、「何それ? かわいい笑」と笑ったのを覚えている。

アート系の彼女からすると、僕の腰のポーチはおかしく見えるらしい。

当時、腰のポーチが流行っていて、便利だったのでつけていた。


「笑わないでよ、流行ってるじゃん」

「だって、かわいいし笑」

これが、この日の一番のハイライト。


3回目は、彼女が食べたいと言った「もつ鍋」を食べに、池袋の「蟻月」に行った。

4回目は、有楽町の「まつ惣」だ。

彼女が好きな居酒屋で、よく行くという。

そこで恋愛話になり、流れで彼女がこう言った。

「えっとさ、私、最初に『付き合う前提じゃないなら会う』って言ったじゃない? あれ、解除する

「急にどういう心境の変化?笑 うん、分かった」

こんなやりとりだったと記憶している。



僕はまだ彼女に結婚していることを伝えていなかった。

この時、きちんと伝えればよかったのだが、それはしなかった。

下心があったのは確かだろう。まだ身体の関係はない。キスも、会った当日にしかしていない。

僕は 一度だけ、結婚していることを隠して、女性と付き合ったことがある。結婚して 3年目、36歳のときだ。彼女のことは、また書こう。

再び同じことになる──、どうしようか。そんな宙ぶらりんの気持ちでいたのだった。


この日の話はそれ切り。後は別の話をしたはずだ。

しかし、この日以降、彼女の態度が明らかに変わった。

「友達にけいすけさんのことを話したら、やめなよ、おじさんじゃんって猛反対された」

「怪しいよ。いきなりキスなんて軽すぎる。やめときなよって言われた」

こんなLINEが届くようになった。

どうやら、彼女のなかでは付き合っていることになっているらしい。

そして、「今度、友達に紹介したいから、会って欲しい」というLINEが届いた。

ここで、もう腹を決めた。「付き合えない」と言おうと──。

ずるいことに、「実は結婚している」と言う気はなかった。


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彼女と会うのは、5回目。「話がある」と、呼び出した。

場所は、飯田橋のカフェバー。


「話ってなに……? 悪い話?」

「うん……」

「嫌いになったの?」

「いや、そうじゃないけど、アキちゃんとは付き合えない」

「やだ、まだ付き合ったばかりだよ」

「まだ、付き合ってない」

「え? 付き合ってくださいっていったよね? わたし」

「アキちゃんが言ったのは、『付き合う前提はない』を解除したということ。付き合う話までにはなってないし、僕が『付き合おう』って言ってない……」

「そっか……」

「身体の関係でもあったら、責任が生じるかもしれないけど、まだそういうのも全然ないし」

「責任なんて……。でも、そっか……」


こんなやりとりが続き、1時間ほど話した──。

彼女も、最終的には「付き合うことはない」「もう会えない」と理解した。

あーあ、結婚するって、むずかしいな

彼女の言葉が心に残る。そうだ、彼女は仕事がつらくて、結婚したがっていたけど、なかなか彼氏ができないと悩んでいたのだ。最初に会った有楽町で聞いていた。



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店を出た後、飯田橋の地下鉄の出口に向かう僕に、「駅まで送りたい」と彼女は付いてきた。

出口が目の前に近づいた瞬間、彼女は僕のジャケットの裾を引っ張った。

「ねえ、考え直して」

「ごめん、それはできない」


一瞬、間があった。彼女はうつむいていた。

そして、顔を上げ、

私のこと、なにも知らないんだから

と彼女は言った。

その目が、とても挑発的で、エロく見えたのを覚えている。



僕には、性的な意味に思えた。そういえば、彼女は小柄だったが、スタイルがよかった。おっぱいが大きかった。

僕は、一瞬たじろいだが、「ごめん」と言って、地下鉄の階段を降りた。
後ろは振り返らなかった。

電車に乗って、LINEを見ると、ひとこと「ばか」とあった。

彼女の最後の言葉と表情が、妙に印象に残っている。



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今、彼女とのLINEを読み返してみたが、完全に恋人同士のようなじゃれ合いをしていた。

僕は多分、彼女の心をもてあそんだ。出会ってから2か月ほど。手を出さなかったのが、せめてもの救い。

アイコンの写真の彼女は、とてもきれいになっていた。苗字は変わっていないが、結婚はできただろうか──。


あれからもう、路上ナンパはしていない。


ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛