カウンセリングまとめ

パソコンでログインしようとしたが何故か弾かれまくったのでスマホで書いている。普通にタイピングのほうが脊髄との接続感が強いので書くのは楽なのだができないものは仕方がない。諦める。(諦めない)

ここ一年ほどカウンセリングに通っている。理由は不眠症→不安、パニック障害→鬱と労働者一人前コースを辿っており、認知行動に問題があることが見受けられたのか、受診を勧められたからである。まぁタダだし暇つぶしに受けておくかと受けているのだがさすがは専門家なだけあり、これが存外自分のズレを自覚するのに役立っているので通っている。

そして通っている中で気づきを得るのは良いのだが、気づきを得たことに満足してその後の生活に活かすことができていないとは言わないが、あまりできていないと感じたので、いっちょ話したことを自分の得意な文字媒体を使ってまとめておくことで今後のカウンセリングの効率化と自身の社会復帰に役立つかなと思い、このnoteを書き始めた。カウンセリングって意味ね〜じゃんとか、何話したらいいのかわからんという人も多いと思うのでそういう人たちに対してもこういうふうに情報を出力するといいんだよという指針もついでに示せたら良いなと思う。内容は適宜更新していくつもりである。主観的な意見とカウンセラーからの意見と客観的な意見が混ざっていて読みにくいのは御愛嬌。

ちなみにカウンセリングは困っていることを相談する場ではあるのだが、困っていることの中でも考え方の歪み、世間とのズレに重きをおいた相談をする場になります。 自分はそれが半年くらい認識できておらず、一悶着あったので記しておきます。症状(体が重い、ゴミが部屋に一つでも落ちていると気が狂う)は主治医に相談して下さい。何が症状で何が認知のズレかわからず、どうどちらに伝えたら良いのかわからない場合はカウンセラーを通じて伝えると良いと思います。

課題:1日がとても長い。苦痛

→何もしないことが休むことではない。自分が心地良い状態に持っていくことが休むこと。なにかできるようなら疲れない程度に楽しんでもいい。

課題:言論を展開されたときにどんなとんでもでも一回は「あ、たしかに〜そういう視点もあるよね〜ウンウン」と受け入れてしまって反論が即座にできないのをやめたい

→視点を想像できるのは悪いことではない。即座に反論せず熟考してから答えを出すことは確かに疲れるが、それもまた個性として受け止めてもいいと思う。しかしそれはそれとして反論が即座にできないことがストレスということに変わりはないのでこの部分に関しては今答えを出すことは出来ない(納得はしてない)


職場に戻りたくないストレスと、職場に戻るための準備を進めている現状のギャップが酷すぎて頭がおかしくなりそう

→感情療法で対処した。しゃーねーかとなった。

見知らぬ人と関わるときにペルソナを形成するのがうまくいかない感じがある。このひとの前でどういう対応をしたらベストなのかなと言うのをすごく考えてしまう。
なのでかかわらない、外に出ない、行動しないが最適解になる

→必ずしもすべての人に対してベストな対応をしなければならないというわけではない。ベストな対応を相手が心地良い状態と捉えているようだ。関係性の破綻を極度に恐れているが、自分が常に疲れる状態では相手との関係性を長期で維持できない。なのでベストな対応を心掛けるのは良いが、そこまで常にベストな対応をしなければならないと固執する必要はないと思う。

薬を飲みたくない。薬を飲んでまで動けるようになりたくない。

薬を飲むことへの抵抗は周りからのイメージ(主に祖父)と抗うつ剤=覚醒剤みたいなものというイメージがあるから。薬を飲んでまで動けるようになりたくないのは、職場に対して嫌な思い出しか無いのと、自信を完全に喪失しているから。今の状態だと自然な力で戻ることは難しく、薬を飲まないといけないということは頭では理解できているがそれはそれとして嫌なものは嫌という気持ちがある。別にそんな信用できないものを飲んでまで社会に適合したくはないし、ましては職場になんて戻りたくない。自分は普通になりたい。薬を飲んでいると異常者であるということを自覚させられているような気持ちになるのが嫌だ。こんな状態がずっと続くのであれば死んでも構わない。
→感情療法で対処。(8種類→4種類に減った)

150%で数日動く→数日全く動けなくなるの繰り返しで生きてきたことについて 



「結果を出す」という行為に対する適合の結果?
・その行為に拘る理由は父親に認められたい、褒められたいから。(褒められないと悲しい、それを覆い隠すために強い怒りの衝動に襲われる)→感情療法で対処
・社会人にはテストやレポートのような結果がないので、常に150%で走らないといけないという衝動に駆られて実際に動き、壊れるのではと考えた。

150%で数日動くについて

設定した結果を出さないといけない、早く目標に到達しないといけないという衝動に駆られる。結果が出ないと意味がないという白黒思考。短期的な燃え尽きと衝動の繰り返し。衝動の原因は常に他人と比較されて生きてきた弊害。結果が出なかったときの罰則、結果が出たときの親の無関心への学習の結果。
→(炭酸リチウム増えた)20240720

結果についての考察
中学の時の同級生(小学二年生のときからの幼馴染)の口癖が「努力のし過ぎで死んだやつはいない」だった。(普通にいる)実際、その同級生がめちゃくちゃ努力をして結果(県内で最も偏差値が高い高校に合格することを目標とし、実際に合格した)を出したところを間近で見ていた。自分は結果=運×才能×環境×努力だと思っている。この変数のうち努力だけは自分でコントロール出来るのでこれを最大限にして結果を勝ち取ったその同級生のことを尊敬していた。なので自分もそうすればいいと思った。そこで出した結論と適応がその活動の仕方であったと考えられる(?)

人の話が聞けない。関心のない話題だと寝る

・人の話が聞けない、覚えてないのは想像型、圧倒的視覚優位だから(映像記憶は普通の人は持っていない。びっくりした)
・会議で寝ないようにする対策は今のところなし。というか不眠症なのでしょうがないような気もする。
・興味のあるところにすぐ関心を持っていかれてしまう。→想像型、圧倒的視覚優位だから。対処法は模索中

(2024/07/20)

普通のことを普通に楽しんで普通に生きていきたいという願望があるんですけどその普通がよくわかんないのと、自分が少なくともそこからかけ離れてることだけ(興味関心視点のズレ、具体的にこういう経験をしたというわけではなくその認識の積み重ね)がどんどんわかっていくのでそれが原因で自信をなくしている

→人(現実に限らない)の行動とその結果を観察し、その行動が生まれた経緯、原因を逆算して考察することでその人の行動、背景を理解し、エミュレートしようとする癖がある。この行動の理由は人間には積み重ねてきた歴史、経験というものがあり、それを元に行動を決めていると考えているので、そこから他者への対応の仕方を学習することで最適な行動をしようとしているから。完璧主義の発露。自分の中から見つけようとしないのは、自己肯定感が低いのと、自分の中に答えがある確率よりも積み上げてきた自分よりも賢い他者が積み上げてきた歴史、経験からのほうが答えを導き出す確率が高いから(両方ともとても低いとは感じている)

ほぼ1日中、かつ4日以上毎日、異常に気分が高まって開放的あるいは怒りっぽくなったり、気が高ぶってとてもそわそわする。圧倒的な全能感
寝なくてもいい気がする。寝るご飯を食べるなどの日常生活の一連の行動の時間がもったいない。頭の中がアイデアで埋め尽くされる。とにかく話したくて仕方がなく、しゃべり続けていた。対人関係において、いつもより行動的(積極的)になったり、ソワソワしてじっとしていられなくなった。
希死念慮や自傷衝動、破滅願望などの負の感情もとても強まっている。
感情自体を増幅されている感じがする。
すごく気が散る。普段なら気にならない色々なものが気になる。


→薬の影響かもしれないのでお医者さんに相談しましょう。(バルプロ酸増えた。トリンテリックス20→10)

目立つのが嫌い。でも普通にしていると目立ってしまう。これが嫌だ。少し不快。普通にしてるだけで目立つということは視点、思想、判断基準などが一般的な大衆から外れているということを示し、大衆との相違性を自覚させられるから(普通でいたい、大衆に迎合したい、でもそれが出来ない、実行すると負荷がかかってしんどい)


→過去の経験から普通にしていると集団から疎外され、孤独感を味わうという経験が多かった。なので集団に迎合したいという気持ちが強い(でも普通はわからない)

今の自分は狂っているという自己認知でいるのですが、じゃあいつから狂っていたのかと言われると、スペクトラムになっており、なおかつその間ずっと関わりのあった人間がいないので正常のペルソナを被ることが難しいなーとふと思った。

→薬を飲んでるから今は狂ってる。意識は離散的ではないのでいつから狂っているかと言われるとわからない。少なくとも高校の頃からおかしい自覚はあった。(自分の考える普通とのズレは感じていた)

オッヤ→能力はあるしフルタイム就労できるし、回復しつつあると思っている。
オレ→能力はさしてないし、フルタイムはきついし、ただ躁転しただけだと思っている。この認識の差が辛い。


→答え無し(不眠が治らないとどうにもならないだろと言うのは伝えている)

理想論を述べると、自分を苦しめているほぼすべての要因が時間という概念の存在に帰結するので無くなってしまえばいいと思っている(なくなったらえらいことになるのはわかっている)(そこまで深くは考えていない)

→答え無し

ずっと親から20数年間努力しろと言われ続けて生きてきた。結晶性知能を高めて同世代と差をつけて人生をより有利にしていくため、言わざるを得なかったというのはわかる。自己肯定感が低く、自分の元の能力(流動性知能)も大して高くないと思っているのでその部分に関しては受け入れている。そして今は休むフェーズということもわかる。しかし、20数年努力しろと言い続けてきたにも関わらず、今更になって休んでも良いんだよと言われると、機嫌が悪いときは(こいつらは今更になって何を言い出すんだ)という怒りの気持ちが芽生えることがある。



カウンセラー
「その気持ちは感じたときに抑圧するのでは無く、人に迷惑にならない形でなら外に出しても良い。自己肯定感が低いとは言っていたが、難しい概念なども凄まじい勢いで出てくるし私はあなたの能力が低いとは感じていない。凄く努力してきたんだなというのは伝わっている。」

「そこは感謝するが特に共感は求めていない。感情を外に出すこと自体に抵抗がある。感情の表出、振幅をコントロールするのが人間であり、それを外にそのまま出すことは自分が動物に近付いているという感覚がし、抵抗を感じる」(感情を外にそのまま出す人間を見てきて(クラブや部活や水泳など)、そいつ等と同類になりたくないという気持ちがあるため(?)。前にも述べたが、一旦(あーたしかにそういう意見もあるな)と受け入れたうえで、自分の感情から一歩引いて考えてから意見を出すようにしている(それはそれとして即時応答はしたい))

20240803