なんか。
最近の自分の感情に変化がある事に気づいた。
以前までは、〇〇がつらい、〇〇が〜だから不安、〇〇が嫌だ、など、不安やしんどい時の理由がはっきりしていた。
だから不安やしんどさがあっても、メモや口頭で言語化して伝える事で対策を立てたり、支援員の方々と一緒に問題に対して考える事ができた。
だけど最近は理由というものがない。
なんか不安、なんかしんどい、なんか辛い、なんか涙が溢れてくる。
そんな事ばかりだ。
不安やしんどさが曖昧になってきている。
理由がないんだったら病む必要ないじゃん
友達に言われた。
そうだよね、私もそう思う。
だってさ、例えば面談してもらったとして、なんか不安とかなんかしんどいって話したところで原因がないから対策のしようもないし、一緒に考える事もできない。
だから私は落ち着いているフリを装った。
でも落ち着いているフリを装えたのはほんの一瞬で、私から話してしまった。
(今日の午後の話)
お昼にスクエアにキッチンカーが来てカレーの販売をしていたから、そこに並んでいた。
炎天下で暑かったせいなのか、昨日の夜に瀉血をしたせいなのかは分からないが目の前が真っ暗になってしゃがみ込んでしまった。
熱中症だと誤解されないためにもと、昨日の夜に瀉血をして、そのクラクラがまだ残っていると話してしまった。
あぁ、平気なフリを装えなかった。
でも本当は気づいてほしかったのかもしれない。助けてもらいたかったのかもしれない。
例え、不安やしんどさが「なんか」だったとしても。それでも不安やしんどさを伝えたかったのかもしれない。
対策の立てようがなくてもいい、一緒に考えてくれなくていい、だって無理だから。
でも隣に座って話だけでも聞いてほしかったのかもしれない。
本当は不安だった。辛かった。しんどかった。涙が溢れて止まらない日もあった。
原因が分からないのも私の中で不安やしんどさを倍増させていた。
リストカットをした。ODをした。瀉血をした。
原因がないからと、自分のなかで不安やしんどさをずっと1人で抱え込んできた。
でも今日倒れたのはある意味良かったのかもしれない。だって、瀉血をしてしまっている事を正直に話すきっかけにもなったから。
正直、スクエアに行くのも精一杯だ。
でも、スクエアへ行かずに家に1人でこもってる方が不安も強くなるし、生活リズムが乱れるから私は毎日ちゃんとスクエアへ通所する決断もした。
だれか、気づいて。だれか、察して。
本当は不安でしんどいんだって事を。
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