「明日になれば、君はきっと彼女のことなんて忘れているから」
中学2年生のある日、体育館での朝会で放った教頭先生の言葉は、20年以上経った今も、私の心の奥から離れてくれない。強い帰巣性を持ったこのコトバは、忘れた頃にまた私の脳内に戻ってくる。
1990年代初頭頃から、ユニセフが募金を求めるCMをテレビで流し始めた。日本中の視聴者はあのCMを一度は見たことがある。教頭先生もそのCMを見ていて朝会でその話を始めた。
テレビの画面から今にも餓死しそうな栄養不良のナイジェリアの小さな女の子が涙をためて私を見つめてくる。会ったこともない他人に対して「可哀そう」という感情が芽生えた。
でも教頭先生はそんな私たち生徒に「CMを見て可哀そうと思っただけで次の日にはもう、その子のこと忘れていませんか?」と問いかけた。
ギクッとした。
心臓がキュっとなった。
だって私は、「可哀そう」と思った数秒後には、CM明けのバカ殿がまた始まって、私は家族とゲラゲラ笑っていたんだから。
あれから20年経った2024年。
色々あって海外に住むことになった。3人の子どもにも恵まれた。
海外に住むと、あの時テレビで見ていた「彼女」の存在もより近くになった。インスタグラムを開くと、パレスチナ出身の友人のアカウントからガザの戦争に巻き込まれる子どもたちのReels動画が流れてくる。上にスワイプしてみるんだけど、また同じような動画が流れてくる。
教頭先生のあの言葉が、また私の脳内に戻ってくる。
どうぜ明日になったら忘れているんでしょう?
胸が苦しくなって授乳中に、持続可能な世界の17の項目たるものをネットで読み始めた。
「なんだ私、あれから20年経ってもなにひとつ世界を変えられてないじゃん」
頭の中でつぶやき携帯をベッドに投げ捨てた。
ふと気がつくと、腕の中の3か月の娘が私を真っすぐ見つめている。その瞬間、教頭先生の言葉の後ろに隠れていた「記憶」が走馬灯のように姿を現して私に語りかけてきた。
あの言葉があったから、高校生になってお小遣いから毎月500円募金してたこと。
あの言葉があったから、スマトラ島沖地震が起きたとき、募金するお金はなかったけど大人の助けをかりてスリランカの子どもと手紙交換を続けたこと。
あの言葉があったから、大学生になって国際協力のボランティアを始めたこと。
テレビの「あの子」は自分の力で救えなかったけど、「あの子」のおかげで私は周りの誰かのために何かできた。
それで十分だ。
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