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Day89→「痛みを伴う笑い」は面白いのか。

いわゆるBPO案件。

暑さ寒さも彼岸まで、なんて言われているが、4月も下旬となりつつあるのに寒かったりするから厄介。その上、大して仕事も無いのに休日出勤なんてするハメになるからもう最悪。

4月になったから多少は余裕が出てくるか?なんて思ったけど相変わらずで、興味が無いとか無くなったとかじゃなくて、物理的に無理なのでいろいろと遅延したりカットしてるだけ。この場を借りて申し訳なく思う昨今。

誰に対して謝ってるのかはさておき(見てるか見てないかは不明)、公式に謝ると変な感じになるので、ここでこっそりと。気分の問題なので通りすがりに見てしまった方はご容赦を。

さて、ご存知の方も多いかもしれないが、放送倫理・番組向上機構(BPO)の青少年委員会が、2022年4月15日に「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解を公表したとのこと。

BPOの見解によれば、

「他人の心身の痛みを嘲笑する」演出が、それを視聴する青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性があることが、最新の脳科学的及び心理学的見地から指摘されていることも事実であり、公共性を有するテレビの制作者は、かかる観点にも配慮しながら番組を作り上げていくことが求められている

「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解

とのこと。ようやくか、という思い。

苛めとイジりの類似性。

以前、「容姿イジり」はやめてくれ、とこのnoteに投稿したが、ふた昔前のテレビ番組なんかは、いわゆる太っていたりブサイクなお笑い芸人を痛めつけたりからかって笑う、なんていうのが当たり前のように放送されていた。

バラエティ番組と称した「お笑い」番組の類は、芸人が体を張ることで成立させていたフシはあるし、然るべきルールに基づいて行われる「お約束」(演出や演技)なのだが、子どもには分かりにくい。

テレビでやってるんだから大丈夫、ましてやルールが存在するなどとは思わないし、大人や先生が真似するなと言っても面白さには勝てない。苛められて「止めろ」と言うのは、お笑い芸人のソレ(演技)とは当然違う。

子どもの頃にやられていた私としては、分別のある大人であったとしても、芸人の演技と一般人の本気が一緒くたにされているフシがあるから、演技だと分かっているとはいえ、芸人が痛がる様子は笑えないし辛い。

一説によれば、「様々な規制がテレビをダメにした」なんて言説があるが、私はそう思わない。キツい職場で制作者が育たないとか、予算が減らされているから面白いコンテンツが作れない、というところが大きいのだと思う。

もちろん、BPOが関係するのは電波メディア(テレビ・ラジオ)のみであり、YouTubeや各種動画配信サイトなどでは、基本的にコンプライアンス(法令遵守)は各社の判断に任されている。

ネットでは「テレビでは出来ない」を売り物にした、差別意識丸出しのコンテンツを流すことも珍しくないが、一定の影響力を誇る電波メディアに対し、ガイドラインが出来たことは望ましいし歓迎したい

いずれにしても、より一層の規制が行われることになった背景として、「時代が変わった」ということに違いないと思う。視聴者側も、意識のアップデートが必要なのかもしれない。

追記: 中学生の新聞投書を見つけた。激しく同意。

いつものアレ。

先週は記事の性質上書かない事にしたが、依然として変化無し。いい加減飽きてしまったし、続けるモチベーションがもう無い。理想高すぎなんだよ意識のアップデートしろ、と文句も言いたいがそれは非現実的。

時代の意識は変われど、いつまでも金属片のように自らの意識を変えようとしない人たちと付き合ってるほど余裕も無いし、そろそろ諦めて自ら退場するしかないかな、などと。あー悔しい

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