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「春の庭」(柴崎友香) 読了

じつを言うと、最近あまり日本の小説を読んでいない。読む小説の総数自体が減っているのも原因なのだけど、どうしてもこの頃は質・量的に「重い」ものを選びたくなる傾向にあるようだ。もしかしたら、ちっとも読書が進まないのはそのせいでもあるかもしれない(なかば進まなくてもいいとも思っているのだけど)、なんて言い訳をしてみたりする。

でも、久しぶりに日本の小説を読んでみた。先月読んだテジュ・コールの「オープン・シティ」に寄せられた柴崎友香の評が、あまりにも的を得ていた(と感じた)から、彼女の作品に興味を持ったのだ。

「春の庭」は、こんな書き出しから始まる。

二階のベランダから女が頭を突き出し、なにかを見ている。ベランダの手すりに両手を置き、首を伸ばした姿勢を保っていた。

​女、を見つけた主人公(太郎)は中庭に面した小窓を閉めるのを止め、女がなにを見ようとしているのかを観察する。すると、どうやらブロック塀の向こうにある、大家の家を見ているらしい。女はスケッチブックを取り出し、絵を描き始めようとする。しばらく、主人公が観察していると、女が関心を持っているのは大家の家ではなく、その隣の水色の家だということがわかった。

じつはこの水色の家が、「春の庭」の舞台とも言える。水色の家に妙な関心を抱く女は主人公太郎のアパートに住む、漫画家の「西さん」。西さんは、高校時代に「春の庭」と題された写真集に魅了され、その撮影現場である家(大家の隣の水色の家)に、長い間憧れ続けていた。憧れ、と言っても、その家が豪華だったから、とか、ステータスとして、などというのとは少し違う。写真集にある空間そのものの美しさに、西さんは執着していた。

主人公の太郎は、というと西さんとは逆に、何かに執着するということはない。何をやるのにも面倒臭さが先に立ち、淡泊を通り越してやる気のない人物(それが理由で元妻に離婚された)。太郎は西さんと知り合いになり、途中から西さんの「春の庭」侵入作戦(?)に巻き込まれる。

というのが、おおよその要約。個人的な感想になってしまうけども、わたしはこのストーリーというよりかは、作者の徹底的な情景描写に感嘆させられた。

たとえば、西さんが東京で最初にアパートを借りたとき、こんなふうに感じたという。

それまでは木は、道路か公園、あるいは遠くの山にあるものだと思っていたので、家の中に季節があることに驚いた。しかも、その庭は表通りから見えなかったので、大家一家とアパートの住人だけが知る季節だった。ただ古びていくだけの物体ではなく、成長し花が咲き、冬には枯れたようになった枝にまた芽が吹く生命がある。西は生き物を飼った経験もなかったので、自分が生活する空間の中に自分の意思とは関係なく生きているものが存在することが、驚異だった。

登場人物を通して、背景(家)を想うということ。通常では無感情に通り過ぎていく景色のなかにも、ありとあらゆる生命が存在するということ。そのことに、気づかせてくれる作品だった。

作者の優れた眼、情景をあますところなく、丁寧に描写する手腕。それも素晴らしいけれども、読者(わたし)の目を外に向けさせてくれようとする、そんな力があるこの作品に出会えてよかったなと思った。

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