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2001年から2009年まで山口市の創業比率が高かった理由は。

地域経済分析システムRESASで創業比率を分析すると山口市が特出していたので深堀りしました。私の存在も、、、、

2004年~2006年の山口市の創業比率が福岡市より高かった理由

一言で言えば、山口市の創業施策が優れていたからです。
山口市は、総合ビジョンに基づいて、2003年8月に山口市産業コーディネーターを設置しました。

山口市産業コーディネーターは、行政による起業化支援で地域産業の活性化を目的にして設置されました。

経営相談、企業支援、企業連携、産学連携の4つが柱でした。


この山口市産業コーディネーターの責任者となり、企画・運営・管理・業務を行ったのが私(中村伸一)です。

2003年8月にスタートした時は、何もない状態。事例を参考にしようにも総合的に創業支援をする仕組みは全国には稀な状態で見当たらず、手探りで始めました。(ひょっとしたら全国を細かくみればあったのかもしれませんが、ネットは普及していたもののSNSは無くて、創業支援情報は集まりにく状況でした。)

体制は、二人体制。私と、今でいうフリーランスで活動していた起業家にスタッフになってもらっての船出でした。

起業支援は、私も起業した経験者なので伴走支援もできました。
そして経営支援、当時はベンチャー企業の経営者になって4年経過しており、経営面もフォローすることができました。

企業連携、産学連携は、私が一番得意としていた分野で、会社員時代を通して異業種交流会に積極的に参加し人的ネットワークを持っていました。会社員時代は、パナソニックグループ会社で営業をしていたので、山口県内の大手企業から中小企業、金融機関、自治体との取引から、企業や自治体の事にも精通して、コネクションもありました。また山口大学のベンチャースクールを受講していた事から山口大学との関係を持っていたので、イベントやセミナー、交流会を実施するのも容易に実現できました。


僕の人生の中で、起業は無いものだと考えていたのに起業家の道を歩むことになったのが1998年。当時の僕を知る人は、皆さん驚いていました。
起業は、「特別な事」と、世間では捉えられていたと思います。
僕自身がそうでしたから。
起業してみると、起業は働くための選択肢の一つであることを、起業仲間との活動を通して実感しました。
起業支援を始めた一つの理由として、「起業は特別な事ではない。」
働くことの選択肢の一つで、起業することのイメージというか壁を低くすることが僕のミッションでもありました。

2004年に取り組んだのは、創業支援・連携支援の仕組みづくり

2004年は、山口市産業コーディネーターの利用者を増やすために、セミナーや交流会を多岐に渡って実施するとともに、周知、認知を目指してメディア戦略を展開しました。私自らが、マスメディアへの露出を増やしてPR活動も積極的に行いました。

仕組づくりとしては、創業支援ツールをオリジナルで開発するとともに、ビジネス交流会から事業者同士のマッチングが生まれるプログラムを開発していきました。

これらをビジネスモデルとして全体フレームを描くことで、スタッフでPDCAを回す仕組みを構築しました。


2005年は、創業支援を主目的として会社を設立。

自分ごとながら、2004年にベンチャー企業の経営者を降りて、創業支援をメインに活動する会社を創業しました。第2創業になります。

女性スタッフも増員して女性からも相談しやすい体制を作っていきます。
当時、私が40歳、スタッフ2名が20代の起業家。自分の事業や家業をしながら山口市産業コーディネーターを複業として活動してもらいました。

山口市内そして山口県内だけの創業情報だけでは創業支援が手狭になってきたので、全国でベンチャー企業の創出を行う経済産業省管轄のドリームゲートの活動に、やまぐち総合研究所として参画して、そこで得た情報や知見を
山口市の創業支援にフィードバックして、特にITに関わるビジネスモデルでの創業者やクリエイターの連携もはかっていきました。

山口県では、若者ビジネスプランオーディションがスタートしました。
全国的にも珍しい企画だったので、企画段階から参画してアドバイスしました。セミナーの講師、審査員、コンテスト後のメンターとして若者ビジネスコンテストを支えて、全国規模のベンチャー支援機関のDREAM GATEに繋げました。若者ビジネスコンテストでグランプリを取った起業家は、DREAM GATE全国大会中国予選でも優勝して、全国大会へと進んでいます。


2006年は、県のIT分野のインキュベーションマネージャーとしても活動

私自身がITベンチャー企業の経営者時代に入居していた県のITビジネスセンターのインキュベーションマネージャーとなって、IT分野で創業し入居した起業家の支援を行いました。
また、山口大学経済学部より依頼があり、新事業創造論のメンターとして学生が作成したビジネスプランへのアドバイスや評価をしました。

山口市産業コーディネーターの連携支援も山口県や山口大学との関係が深まることによって、大きな人的ネットワークが生まれ、起業家支援にも繋がっていきます。今で言う、スタートアップエコシステムの構築ができたことになります。


2004年~2006年に創業支援の活動をパーパスで言うと、
「起業家を多く輩出し、起業家仲間を増やしたい」

山口市の創業比率が全国的にも高かったのは、このように山口市産業コーディネーターの活動があったからです。


県内のマスメディアからの取材や他の自治体から山口市産業コーディネーターの活動について問い合わせが多くあったことを当時の担当者からよく聞いていました。

この期間の活動が大きな実績に繋がったのは、今のパーパス経営(志経営)で言うと、「山口県で起業家仲間を増やしたかった。」ことになります。

この期間は、創業支援や連携支援を私自身が楽しく取り組めて、数値実績を気にしなくても自然に実績が上がっていきました。
自治体の担当者とも協議しながらの手探りスタート。事例も無いことから、我々が事例を作っていく立場でした。
その成果は、他の自治体が取り入れていったという事もお聞きしていました。

2004年~2006年に創業支援に取り組み、成果が出た理由は

  1. マネージャーであった私の経験を活かして、企画を立案して実施してきたこと。

  2. 市内や隣接している地域の起業家に声を掛けて、セミナーや交流会に協力してもらったこと。(迷惑をかけたかもしれませんが、巻き込むこと)

  3. 起業後1年目~3年目の方にセミナーの講師などで登壇してもらうこと。
    起業家のPR周知を兼ねて、また人前で話すことに慣れてもらい活動の機会を増やしたこと。

  4. 起業家だけでなく、既存の事業者にもイベントに参加してもらい、人的ネットワークを広げ、仕事の機会を作っていった事

  5. 大学や高校にも協力してもらい、産学官でのイベントを実施したこと。

  6. 起業が特別な事ではないことをイメージつけた事

  7. マネージャーである私がパラレルワーク的に、山口市、山口県、国の施策
    を請負い、今で言うエコシステムをリアルで構築していった事。



結果的に驚くような成果を2004年~2006年に生み出し、データとしても評価される結果になったのは、創業支援を仕事と思わず、人生だと考えて取り組んできたからだと思います。
決まった時間での仕事ではなく、絶えず創業支援に関わった成果だと考えます。

しかし2004年~2006年に成果が生まれたのは、この3年間の取組みだけの成果ではありません。遡れば2001年からの取組み。強いていえば、1997年に始まった山口県のベンチャー支援の施策から始まったとも言えます。




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