マネージャー研修設計者に意識して欲しいこと~ドラッカー『現代の経営』から
マネージャー候補者への企業研修の資料を作成していて、ちょっと気づいてしまったことがあったので記録しておきます。
ドラッカーの『現代の経営』に、「明日の経営管理者の育成」という小見出しの部分があります。経営管理者というのは、マネージャーを訳したものですから、これすなわち、マネージャー研修の要諦だとドラッカーが考えていたことだと思います。
引用します。
一部、「それどころか」の流れがわかりにくいですね。原著からこの部分を引用してみます。
「それどころか」は、Indeed なんですね。「実に、本当に、確かに、いかにも、実際に[は]、全く」なんて訳が、英辞郎さんでは出てきています。確かに、ここは逆接の意味ではなく強調として受け取った方が良さそうです。
この引用部分、「もし、~ならば」ということで、条件文になっています。なぜ、これが条件文から始まっているかといえば、この前の文章の部分で、ドラッカーが、この「もし、~ならば」の中身を仮説として置いているからです。次は、その部分を引用しますが、その前に前提条件として、ドラッカーはマネージャーの仕事を下記のように整理しています(執筆子要約)。
①目標によるマネジメント
②長期の大きなリスクテイク
③戦略的意思決定
④チームの構築、次のマネージャーの育成
⑤情報伝達と動機づけ
⑥事業全体の把握
⑦社会全体の把握と意思決定への反映
で、その上で、これらを「めまいのするような大変な仕事」と言い、それが可能になる人類の進化も望めない、と言っています。
で、その上で、こちらの問いを投げています。いかに、普通の人間をもってこれらの課題を遂行することができるのか?
そして、それに対するドラッカーの答え。
この部分、さらにドラッカーはまとめて、
とも言っています。そして、
太字部分、原文も見ておきましょう。
ここまで見てきて、正直、ドラッカーの言う「システム」「方法」「コンセプト」「パターン」という言葉が、それぞれどのように使い分けられているのか、ということを理解するのは、なかなか困難かと思います。実際、どらかーはこれらの言葉を普通の言葉として使っているので、割と分析も必要になってきそうです。
しかし、その部分をとりあえず置いておいて、ひとつ理解できそうなこととして、「個別に起こった出来事やその解決策を、そのままで終わらせるのではなく、論理的総合的に捉えて、他に使えるものにしなさいよ」と言っていることに気づきました。
もう少し言うと「ひとつひとつの仕事や課題をクリアする」のではなく、「似たような仕事や課題をクリアできるように考えておく」ということが重要だと。
ドラッカーの言う「システム」「方法」「コンセプト」「パターン」、それらの意味解釈は置いておいたとしても、いずれにしても、「目の前の事象を抽象化して意味付けし、他のこととつなげて解釈する能力」が必要だ、と。
私はよく、この能力のことを「名づけ」と呼んでいます。
もっというと、「他人にわかりやすく説明する能力」と言ってもいいかもしれません。「言語化能力」と言ってもいいでしょう。
私は個人的に、日本の組織からマネジメントが失われたのは、いわゆる業務日誌や日報の文化が失われたこと、あるいは形骸化したことが原因ではないかと思っています。これらは日々の業務を誰かに説明するもので、そこではこの言語化能力が鍛えられていたのでしょう。
ということで、私はマネージャーに対するマネジメント研修では、内容自体はともかく、根底に流れるテーマとして、この「言語化能力」を鍛える、というコンセプトはとっても大事なんじゃないかな、と思ったのです。
ということで、資料作成がまったく進んでいないので(笑)、今日のところはここまで。
現場からは以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?