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コーチングを部下で練習してはいけないワケ

ご覧いただき、ありがとうございます。

自社で運営しているマネジメント層向けコーチ養成プログラム開始の準備をしています。その説明会の中で、割と多い質問でありながら、説明すれば納得してもらえるのが今回のお話です。

コーチングの歴史の話をするとちょくちょく出てくるガルウェイは、コーチングができるようになるために、採れる方法は3つある、と言っています。

1.コーチングを学ぶ(本や講義など)
2.コーチングをする
3.コーチングを受ける

そして、この1が最も役に立たない、と言っています。コーチングを座学で学ぶことは、お金と時間がかかるわりには上達しない、とも言っています。

というわけで、自社の講座では、2と3の実践をプログラムの必須のものとして課しているわけですが、企業のマネジメントの方が多いため、標題の質問が割と出てくるわけです。

当プログラムは、6ヶ月の期間中、3人のクライアントを取ってコーチングしてください、とお願いします。この人選の中で、家族と直属の部下はやめてくださいね、と言っています。

すると、不思議そうな表情をする方が居ます。自分は部下のマネジメントにコーチングを使いたいから学ぶのに、なんで、部下で練習してはいけないのか?

答えはシンプルです。部下との人間関係を破壊し、部下がコーチング嫌いになる可能性が高いから、です。国際コーチング連盟の倫理規定に照らして説明すると、これはコーチとクライアントの間に利害関係があって、利益相反になる可能性が高いから、です。

既にコーチングができている人であれば、部下に対するコミュニケーションで、コーチング型とそうではないものを使い分けることができます。例えば、こっからはコーチング、とか、こっからは上司として、とかいうように。このレベルであれば、問題は起きません。

しかし、それがよくわかっていない人がいきなり部下に対してコーチングをしようとすると、湧きおこる矛盾を解決できなくなってしまいます。

この矛盾、自分の中の対立と言ってもいいかもしれません。

つまり、コーチとしての自分はクライアントである部下を信じ、任せ、応援したい。しかし、上司として、この部下の発言を見過ごしていいものか? 許していいのか? それはマネジメントとしての責任を果たしていることになるのか?

人間、誰しも弱い部分はあります。弱音を吐くこともあるでしょう。文句を言いたいこともあるでしょう。人間だもの。

では、上司にその弱音が言えるのか? 例えば、こんなクソ仕事、なんて発言は絶対に本心であっても言えないでしょう。ましてや、上司の問題やマネジメント上の問題、同僚の本音などは、絶対に口に出せない。

そういう前提が確かに存在しているのに、上司自身がそれに配慮もなく、大丈夫。自分は部下と関係性が良いから、すぐに部下にコーチングができる、部下でコーチングを練習しても大丈夫、と思うのであれば、その思い込み自体が問題である、という気がします。

ポジションパワーというのは目に見えなくても発動しているものです。よく冗談で、アクションラーニング型の授業をやる場合、賢い子は、先生が望む「主体的な姿」を演じる、という話がありますが、それと同じように、評価権限を持っている上司には、部下は気を遣っているもの。コーチングするよ、と言われて嫌、と言えない部下にコーチングをしても、その断れない関係性がある限り、部下にとってはコーチングにはならないことも大いにありうるのです。

そしてもうひとつ、根本的な話として、もし、部下との人間関係に悩んでいるのでしたら、コーチングを学ぶ必要はなく、その部下に向き合った方が良いです。コーチングを身につけるための時間とお金を、その部下に使った方が合理的です。

あくまでもコーチングを身に着け、結果として部下との関係も良くなる、ということを望まない限り、そういう人はコーチングを学ばなくてもいいんじゃないかな、と思っています。

以上、コーチングを部下で練習してはいけないワケ、でした。部下のことを大切に思っているのだったら、練習台ではなく、プロレベルになってガチでコーチングしてあげてくださいね。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。

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