見出し画像

隠れて瞑想に行っていた私

30年近く前、私が原始仏教の瞑想である
ヴィッパサナ瞑想と出会った頃は
瞑想は限りなく怪しく危険なものだった。

瞑想イコール危険な宗教と思われ
瞑想の主催者は瞑想会の会場探しに苦労していた。
宗教活動だと判断されると、公民館などでは
場所を借りることが難しかったからだ。

だから私も人に瞑想に行くことを口外しなかった。
もし話す必要があるときには、「瞑想」ではなく
「座禅」と言っていた。

座禅に行くといえば
「あ~、お寺で座って、棒で叩かれるんでしょ?」
と、いわれるが怪しい人だと思われる心配はなかった。

瞑想と座禅は同じカテゴリーのものではあるが
座禅といえば京都や鎌倉の伝統的なお寺を想像され
正統派というイメージがある。

しかし実際は、日本の座禅より原始仏教の瞑想のほうが
元祖であり、正統的なのだ。

この瞑想法によってブッダは悟り
それ以降2500年の時を超えて
仏教国であるタイやミャンマー、スリランカなどの
瞑想道場で実践されたきた。

分裂した仏教が中国に渡ると
そこでさらに宗派に分かれて
それが日本に伝わってきた。
日本の禅はその1宗派ということになる。

中国の文化や日本の文化と習合すると
当初のブッダの教えや瞑想とは
だいぶ趣が違うものへと変容している。

当時、人生に悩んでいた私に
ブッダのシンプルな教えと瞑想法は
直球で胸に響いてきた。

難しいことはわからないけど
この教えがあれば生きていくことが
できると感じた。

そしてこの瞑想法を実践すれば
苦しみから解放されると100パーセント確信できた。

運命の出会いとは、こういうことなのだ。
理屈はいらない。

ブッダを信頼し、瞑想への疑念は少しもなかったが、
だから瞑想ができるかといえば
そうではなかった。

目をつぶれば、嵐のような雑念に翻弄され
5分と落ち着ていることができなかった。

悩み多く心が乱れていた当時の私は
瞑想をさぼる言い訳を何年にも渡り
何百、何千と重ねていた。

年齢を重ねブッダの教えを
人生の体験のなかで味わい尽くしたころ
瞑想は「マインドフルネス」という
新しい言葉で現れてきた。

そのとき瞑想から怪しさは消え
米国企業が推進する知的なものへと
姿を変えていた。

いまも変わらず妄想に耽ってはいるが
嵐のような妄想がやみ
そよ風のようになってきた。

それは瞑想自体の修練というより
人生のなかでブッダの教えを
体験したためだと思う。

生きることは苦であるといわれれば
本当にそうであると実感できる。
それも実践なのだ。

瞑想中の嵐も人生の嵐も
だいぶ過ぎ去ってきたと思っていたら
今度は足や腰が痛くなり
長時間すわることが
つらくなってきた。

だからいまが本気で瞑想に取り組むなら
最後のチャンスだと感じている。

かつての私のように生きることに苦悩し
妄想に翻弄されている人がいるなら
ブッダの教えを学び
いっしょに瞑想しようと、誘いたい。

それがnoteをはじめようと思った
大きな理由の1つでもある。

必要な人にこの瞑想が届き
運命の出会いをしてもらえることを願い
活動を続けている。

第1回完 つづく







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?