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思い出の『黒馬物語』――海外ドラマと、東京放送童話研究会に関する研究と

【読んだ本】
◆アンナ・シューウェル/三辺律子訳『黒馬物語』古典新訳文庫(2024年、光文社)
 
海外ドラマとラジオの放送童話
 中学時代にさかのぼる思い出の物語。とても良い形で再会できてよかった、うれしかった。
 原題 The Adventures of Black Beauty というイギリスの秀作ドラマ(1972-1974年)がNHKで1974-1975年に放送され、それをとても楽しみに見た覚えがある(邦題は『黒馬物語』)。
 YouTubeにPR編が何本かあげられている。番組がはじまるときの ♪ ダ、ダン… ♪ という、力強いひづめの響きや奔馬の躍動を思わせる印象深いテーマ曲とともに、心は毎週、一気に19世紀のイギリス社会へ飛んだ。
  https://www.youtube.com/watch?v=hktxaSsTV48
 
 この視聴から40余年後の2018年、私は戦前のラジオの子ども番組のことを調べていた。「東京放送童話研究会」という、子どもたちへの童話の語りきかせを専門とする口演童話家のグループが脚色&演出に取り組んだ番組台本を研究していた。そこで、1935年11月25-27日と1939年7月19-20日の二度、「黒馬物語」が放送されたと知った。その驚きたるや! 「そんなに昔から名作として受容されていて、番組化されたのか」……と。
 口演童話家たちのなかには、海外の物語を読み、それと気づかせない形で日本を舞台にした物語に置きかえて話をしていた人たちもいた。あらためて今調べてみたところ、古い出版物として1903年に内外出版会から出された本田増次郎訳『驪語 : 黒馬物語』があった。
 イギリス文学で有数のベストセラーである『黒馬物語』は、故エリザベス2世も少女期に愛読したとのこと。映像作品もいくつもあるらしい。イギリスでも日本でも長く受けつがれてきた物語なのである。

今回の邦訳の特徴、あらすじ 
 目次を書き出そうとしたが、4部構成で全49章もある。学術書とちがい、論述の構成を問われるものではないから、打ち込みは省略ということで。
 冒頭に書いた「良い形で」というのは、原書に入っていたジョン・ビアの挿画がふんだんに入っていること、自然で時代性が意識された訳語が読みやすく安心感が持てること、原作の出版背景を知ることのできる解説や作家の年譜などの資料が充実していること、定評ある光文社古典新訳文庫の1冊となり、持ち歩きやすくストレスのない文字組みで出版されたこと、別刷りの登場人物表がカードでついていることなどである。
 
 物語は、のどかな牧場で誕生した美しい子馬が成馬となり、どのように働き、どう暮らしたかを語るものだ。彼がみた景色、見聞きした出来ごと、出会った仲間や人びとが一人称で語られる。人の人生につきものの喜怒哀楽、感激とともに忍従や苦労、事件やトラブルが馬の姿を借りて描かれているようでもある。それは時折、動物か人間かという境を超え、読み手に共感や一体感という貴重な経験をもたらす。
 そして、最初に「ブラックビューティー」と名づけられた「ぼく」のまわりに広がる環境から、産業における家畜の位置づけ、階級社会の仕組み、ジェンダー規範など、社会と歴史についてさまざまに考えることができる。
 訳者の三辺氏が、大人になってからの再読で「労働者の処遇や権利についてけっこうなページが割かれていたこと」(436頁)に驚いたと記しているが、もしかするとあの海外ドラマもそうだったのかもしれない。この翻訳書を読み、こんなにも社会と歴史への洞察が深い小説が原作だったのかと打たれ、読めてよかったと思った。

1935年の『黒馬物語』
 ちなみに、先述の東京放送童話研究会の台本は、「若し皆様がこれからお話するお話を静かにお聴き下されば、必ず皆様、日本の少年少女の方々は、この私のお話の終る三日の後には、生き物はどういう風に扱ったらいいかと云う事がハッキリお判りになる様になることだと思います」(東京放送童話研究会脚色『黒馬物語(1)』名作物語、1935年、1頁)とはじめられている。 
 これに触れた拙論文のリンクは→
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/42647
 1935年の放送であったから、日本では馬が軍馬に駆り出されることもあった。男の子のなかには軍人にあこがれる子も多く、またしばしばそういう教育がされていた時代である。そのあこがれのかっこいい軍人の横には、颯爽としたブラックビューティーのような馬が立っているところも思い描かれたかもしれない。
 戦死者数について語られる機会はしばしばあるが、あの戦いでいったいどれだけの軍馬が大陸や外地で犠牲になったかなどということも考えさせられる。そこで、次の箇所を引いておく。
 
  だんなさまは、神は人間に理性をお与えになり、それによって人間は自 
  身の力でさまざまなことを突き止めることができるが、動物たちには知
  恵を与えられたのだ、というようなことを言っていた。知恵は理性に基
  づくことなく、理性とはちがう方法ですばやく、完璧な判断を下すこと
  ができるから、それによって、人間たちは命を助けられてきたのだ
  (114頁)。
 
  紳士は降りぎわにこう言った。「残酷な行いやまちがった行為を見て
  も、それを止める力があるのになにもしなければ、そうした行為をした
  のと罪の重さは同じだ。それが、わたしの信条なんだよ」(329頁)

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