こえすぎたわたし
私の母は末期の胃がんでした。
(初めて私のnoteを読んで下さっている方は、マガジン「母の記録」にて、これまでに母と私達家族に起こった出来事を記していますので、よかったらそちらの方も読んでみて下さい。)
2024.1.27
去年、お義母さんがクリーニング屋さんで、日帰りバスツアーの抽選が当たったと言って私を誘ってくれていた。母がこんなにも悪くなるとは思っていなかったので、お義母さんが誘ってくれた時は嬉しくてすぐに一緒に行くことを決めた。
お正月明けに入院すると
『手の施しようがない』と先生に言われ、
母はどんどん体調が悪くなっていった。
お義母さんに今の母の状態を話すと
『それはお母さんに会いに行かな、旅行はまた当たったら行こう』と言って、キャンセルしてくれた。
今日がその日帰りバスツアーの日だったけど、私は母に会いに朝から病院へ行った。明日は日曜日で仕事が休みだったので、今日は私が病院に泊まると言って父を一度家へ帰した。
お昼過ぎに、
おばちゃん(母の二番目の姉)とお兄ちゃんとお姉ちゃん(二番目の姉の子ども)が3人でお見舞いに来てくれた。
随分と痩せてしまった母を見て、
おばちゃんはびっくりした様子で目がキョロキョロして動揺しているように見えた。
お姉ちゃんが母の側まで行き、
『〇〇ちゃん、会いに来たよ〜。』
と声をかけると母は、
『遠いのに、わざわざごめんね。』
と言った。
おばちゃんとお兄ちゃんは、母に何て声をかけていいのか分からないみたいで、それを察してか、お姉ちゃんは母に沢山思い出話しをした。
『〇〇ちゃん、自転車の後ろにお兄ちゃん乗せてよくお散歩行ってたよね。私はまだ小さくて、危ないって言われて乗せてもらえんでさ、お兄ちゃんが羨ましかったもん。』
『〇〇ちゃん、ジュリー(沢田研二)好きやったよね、部屋にポスター入ってあったよね。』
母の推しが、ジュリーだった事にビックリした。
『〇〇ちゃんの部屋、めっちゃ可愛くて好きやったな。』
6人きょうだいの末っ子だった母は、
二番目の姉と10歳以上離れていたので、お姉ちゃんにとってはおばちゃんよりお姉ちゃんだったようだ。
しばらく思い出話しが続いた。
思い出話しをしているお姉ちゃんの声が少しずつ震え出して、鼻を啜る音がした。気づくとおばちゃんもお兄ちゃんも泣いていて、母の目からも涙が溢れていた。
『〇〇ちゃん、また会いに来るけん。』
と、お姉ちゃんが声をかけると
『ありがとう、頑張るけんね。』
と母が言った。
おばちゃんは母の手を強く握って
『ホント頑張らやんよ、頑張らな…。』
と沢山涙を流しながら言った。
『ごめん、〇〇ちゃん(母)に何て言っていいか分からんやった。〇〇(私)も大変やろうけど頑張ってね。』
と、お兄ちゃんが私に声をかけてくれた。
『〇〇ちゃん(私)、おばちゃん何もしてあげれんでごめんね。〇〇ちゃん(母)の事よろしくね。』と言った。
『お母さん、姉ちゃんに会いたいって。それ聞いて、姉ちゃん三人いるけどおばちゃんの事を言いよるんやろうな…って。だけん、おばちゃん達が会いに来てくれてお母さん喜んどるよ。』と私が言うと、
『そーかね』
と、おばちゃんは嬉しいけど寂しそうな顔をした。
病室を出てエレベーターを待っていると
『〇〇ちゃん(私)、おばちゃん達を病院の玄関まで迎えに来てくれたやん。あんた太り過ぎてて分からんかったよ。病気せんごと。』
と、おばちゃんに言われ。
『ホントやん、小さい頃痩せて可愛かったのに。』と、お姉ちゃんにも言われ。
『小さい頃はそんなん喋りよらんかったのに、太って面影はないけど、明るいけんいい。』
と、優しい言葉しか出てこないようなお兄ちゃんにまで言われてしまった。
『今日はありがとうございました、気をつけて帰ってね。』って言うと、みんな少しだけ笑顔になって帰って行った。
病室へ戻って母におばちゃん達に言われた事を話すと
『肥え過ぎやん』と、一言だけ言って目を閉じたけど、母の顔も少し笑っているように見えた。
#母 #胃がん #末期がん #緩和ケア #笑顔
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