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長い一日


私の母は末期の胃がんでした。
(初めて私のnoteを読んで下さっている方は、マガジン「母の記録」にて、これまでに母と私達家族に起こった出来事を記していますので、よかったらそちらの方も読んでみて下さい。)



2024.1.27
おばちゃん達が帰った後、母は疲れたのか少しの間寝てしまった。今日は父の代わりに私が病院に泊まる事にしていたので、母が寝ている間に、私も少しソファーで横になろうとした瞬間、母に呼ばれた。


痛みが出てきたみたいで、背中を摩って欲しいと言った。母の背中の下に手を入れると、背中を摩っているのに、私の手のひらはゴツゴツした足ツボシートや洗濯板を撫でているみたいだった。


母の体はそれぐらい痩せ切っていた。


背中…、腰…、足……。


私『どう?もうちょいしよっか?』
と母に聞くと、私に気を使ってか

母『もうよか、よか。ありがと、疲れたろ。』
と言った。



それから、またすぐ母は痛みを訴えた。


1時間に2〜4回、母の体を摩った。




午後10:00
母に、ご飯は食べたかと聞かれた。
私は夕飯を食べ損なった…と言うより、病院に来てから食べ物だけでなく飲み物すら口にしていなかった。


テレビ台の上に、置き去りになったお茶の入った紙コップが柔らかくなっていた。


母が寝ている間にお茶を飲もうとして、母に呼ばれてそのままお茶の存在を忘れてしまっていた。




2024.1.28
母は痛みで眠る事が出来なかった。
看護師さんに痛み止めの薬をもらって飲むけれど、またすぐに痛みがやって来る。


午前2:00
母がアイスが食べたいと言う。
昼間と違って、暗く静まり返った病院内はより一層広く感じた。夜間の出入り口にまで行く渡り廊下が薄気味悪くて、早歩きになった。


コンビニでアイスを買って戻ると、母は眠っていた。母を起こさぬよう、そっと冷凍庫にアイスをしまった。ソファに腰をかけようとした瞬間、母は目を覚ました。


アイスを2〜3口食べると、美味しいと言って少しだけ笑顔になった。笑顔になったのはその一瞬だけで、痛みの出た母の体を、私はまた何度も何度も摩った。摩りながらこんな毎日をいつまで続けれるのか不安に思うと、母だけでなく父の体も心配になった。


午前3:30
今日私は、寝る事を諦めた。
母の側まで椅子を寄せ、布団の中で母の手を握った。


午前3:50
喉に何か詰まっている感じがすると言って母が苦しそうな顔をしたので、慌てて看護師さんを呼びに行った。
吸引するチューブを口から入れるが、
『痛いっ、痛いっ。』と、母はものすごい顔で嫌がったので、鼻からチューブを入れ直し吸引するけど何も詰まってはいなかった。
今までに見たことのない痛みで歪んだ母の顔、私の心臓はバクバクし息苦しさと恐怖心を感じた。


午前5:30
母『〇〇ちゃん(私の名前)、鍋が食べたかけど無理よねぇ…。』
少し落ち着いたのか、お店(主人の)の鶏鍋が食べたいと言い出した。

私『鍋作って持って来よっか、でも飲み込むの大変やない。』
と言うと、

母『そーよねぇ…やっぱりもう食べれんか。』
と、母が寂しそうな顔をするので

私『小さく切って、保温のスープの容器に入れて持って来たらいいかもね。』
と、私は慌てて返事をした。


それから母はちょっとだけ寝て、
目が覚めると、鯛と鰤の塩焼きを食べる夢を見たと言ったので『えらい豪華やね』と、私は言った。


寝たかと思えば目が覚め、痛みは相変わらずすぐやって来るので私は母の体をまた何度も何度もを摩った。


冬のせいか、なかなか朝が来てくれず、昨日がいつ終わって、今日がいつ始まってしまっていたのか分からなくなってしまいそうだった。



#母 #胃がん #末期がん #緩和ケア





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