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「我が親のため」に何ができる?

始(2020/2/27/1:22)

ここ1週間ほど実家の方へ帰っていました。とは言っても徒歩30分ほどで着くんですけどね・・・(笑)

母と離れて暮らすようになり、もうすぐ1年が経とうとしています。1人暮らしを始めると親のありがたみが分かるとはよく聞きますが、なんかずれているような気がします。

ありがたみはもちろん感じるのですが、20歳にもなると、戸惑いながらも自分1人分の家事くらいはできるようになります。自分1人が満足できる程度の家事くらいは。

ありがたみというよりかは、母の愛とでもいうんでしょうね。我が子のため。その理由で仕事終わりであってもご飯を作ってお風呂をわかして洗濯をしてくれるのです。しかもすご~くクオリティが高い!

母ってすごいな~と思います。誰よりも働いているのに、自身でそれが当たり前と思っているし、それが我が子のためならと無意識レベルの献身的な愛。

献身的な愛に何を返せばいいのか。それはきっと月並みな表現ですが、元気な姿を見せることではないかと思います。

私は良くない癖なのですが、嘘をつくことが多いです。他人にはあまりしませんが、きっと私は一番母に嘘をついているような気がします。

私が学生の頃、晩御飯の食卓の場で母はいつも「今日は何かあった?」と聞いてくるのです。兄はたいてい「特になんもなかったよ」というのです。雨だったから通学が大変だったとか。そんな感じの会話。

きっと母にとっては子供と会話ができたらよかったのでしょうし、子供の日常を知りたかっただけなのでしょう。しかし、私は母が喜ぶようなことを話さなければと躍起になっていました。

何気ない日に、友達とドッジボールをして遊んだというと、それだけで母は嬉しそうに笑うのです。「微糖は友達がたくさんいるんだね」と。それから私は友達の話を毎日のように考え、ありもしない話をしてきました。

今日はこんなことがあったよ、○○ちゃんがね、○○君が・・・本当のこともありましたが、それも小学生まで。中学生の頃は同じ班で話したこともないような子とも、母には私とその子は仲良しな話をしてしまうのです。

実際に仲のいい子たちの話もしましたが、0から作り上げた会話なんて数え切れません。ただ私は母が願う「明るくて誰とでも仲良くなれる」人でありたかった。母にがっかりさせたくなかったのです。

今でもそれは息をするかのように、まったく話したことのない会話をさもあったかのように話してしまいます。これは母に嫌われたくないという自分の弱さなのか、それとも本当に母が安心してくれるからかはわかりません。

兄はよくも悪くも素直で、元気がないときはとても元気がないし、楽しいことがあったらとても楽しそうに教えてくれます。

私は悲しいことがあっても、母の前で泣けないのです。毎日彼氏の家に泊まり、毎日泣いて吐いている時期もありました。母に「いい加減帰ってこい」と怒られても、家で泣けないのが我慢ならなくて電話越しに「また帰る時れんらくするから!今だけ!」と明るく言ったこともあります。

1人暮らしを半ば無理やり始めた理由も、一人心休まる空間がほしかったのが大きな理由です。辛いときに辛いと、しんどいときにしんどいと、いつも笑顔でいなくても済む空間を得るためならお金は惜しみません。

いつだって人に好かれて明るい娘でありたい。母は「微糖は安心だね。辛いことがあってもきっとなんとかなるよ。それよりお兄ちゃんが・・・」とよく言います。

私が無邪気であほで明るい娘である限り、母は安心できるのです。もう少しやり方があったと思うし、ずっとだまし続けている罪悪感はつのります。

しかし20年間そう過ごしてきた私にとって、今更それを嘘でしたというのは母にとっても残酷なことではないかと思います。

母は「人に嘘をつくような人にだけはならないで。信頼関係が一気に崩れるから」と何度も何度も幼いころから私に言い聞かせてきました。

そんな私の嘘が母の安心につながっていると思うと、なんとなく心が苦しくなります。

それでも「我が子のため」とずっと私が元気で過ごせるために頑張ってきてくれた母のために、「我が親のため」とわざと毎日が楽しいことがあふれているかのように嘘を話すことしかできません。もう自分でコントロールすることさえできないようになりました。まるで即興で脚本を書いて話しているような、そんな気分になります。

母はどこか美味しいものが食べれる店につれていったり、旅行したり、そんなことより、子供が笑顔で過ごしていることが1番幸せなんだろうと献身的な愛から、そのあたたかさと重みが伝わってきます。

「我が親のため」に、私はなにができるのだろう。帰省から自分の小さな家に戻ってきた夜のお話でした。

終(2020/2/27/2:00)