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#1:生まれてから幼稚園まで

(今回の話はエピローグ的なものです。見ても見なくても良いのですが、後々に響いてくる伏線となります。)

私は微糖家の長女として生まれました。父、母、兄がいます。

当時は父の自営業がうまくいっていたため、裕福な暮らしができていた、と聞いたことがあります。

幼稚園にも通い、早くも男の子2人に告白され、リアルに「私のために争わないで!」ポジションになるという、人生に3度くるといわれているモテ期の1回を使い果たし、楽しく過ごしていました。

幼稚園で私はクラスの中心的存在だったそうで、先生からも明るい子として認識されていました。写真を見てもいつも笑顔です。友達とうつっている写真が多かったので、あながち間違ってはいないのでしょう。幼いころの無邪気な写真は我ながら可愛いと思っちゃいますよね。母親が私の髪の毛を茶髪にしたり、パーマをかけたりしていたこともあり、園内では「明るくてかわいい子がいる」とちょっとした有名人になっていたそうです。

小学生にあがるころ、父と母が離婚しました。特に珍しいことではありません。

父親の自営業がかたむき、子会社を助けるために借金をしました。家を売り払うことになり、離婚しました。

ただ母はそれが決定的となっただけで、元から離婚は頭にあったそうです。高校生になったときにいくつか聞いたことがありますが、納得する理由でした。週末は家に帰らないとか、出張先で女の人と会ってるっぽいとか、私が入院し酸素テントに入ることになったときもゴルフに行っていたとかで来てくれなかったそうです。母は発熱している兄を片手に私を見守ってくれました。記憶はないですけど、そういう話をきくと本当に愛されてると感じます。

ただ父も私のことを愛していたのは確かです。この文脈でいっても信じてもらえないかもですか(・・;) また機会があるので後にとっておきます。

そんな感じで小学生1年生にあがる頃にはアパートの1室で、母、兄、私の3人で暮らすことになりました。自分の部屋はありましたが、母親の部屋がやけに寒かったため、倉庫と化し、母は私の部屋で寝ていました。

父と母は喧嘩別れなどではないので、父から養育費や家賃や生活費、携帯代などは言わずもがなといった感じで支払ってもらってました。ただ、母も働かなければならなくなり、事務系のパートに行っていました。

兄と私は普段通り学校へ。そして剣道を始めました。母がどうしてもやらせたかったみたいで道場に行き、兄も私も「やってみたい」と言ったそうです。小さい子に見たことないのを見せたらそらそうなると思うのですが、母も嬉しくなったそうで早速習い事が剣道になりました。また私は幼稚園の頃からあるピアノもあります。始めたきっかけはよく覚えていません。

傍から見ると大変そうだと思うかもしれませんが、私自身はいたって幸せでした。母や父は大変だったと思います。ただ私は幼かったこともあり、大きな家からアパートに引っ越すこと、父と離れて暮らすことが大きな変化と捉えることができませんでした。父と離れることが少し悲しかったおぼえもありますが、父と会えなくなるわけでもありませんので。

ここまでだと、私は本当に明るくて素直な子でだと思います。記憶はありませんが、幼稚園でも人気者でさぞ気分が良いでしょう。ここから少しずつ今の私へと変わっていくのです。