5分後かもしれない
娘(中学生)と同学年の子が亡くなった。自宅で自ら命を絶った。娘は一度だけ同じクラスになったことがある。
お知らせの手紙を読みながら妻は泣いている。仲が良かったわけではない。よく知っているわけでもない。それでも心が締め付けられる。
原因はわからない。
イジメ? 受験? どちらかといえばイジられるタイプの子だったらしい。からかわれて尊厳を傷つけられ続けた?
何かできることはなかったのか?
考えても、失われた命がもどることはない。
ふと、コロナ禍に入ったばかりの頃を思い出した。
学校が閉鎖された。2ヶ月間、娘(小1)を一人自宅で待機させることになった。コロナ禍がはじまったばかりの社会では、学校閉鎖への理解などなかった。
学校や学童クラブが閉鎖されようと「仕事休まれても困るよ」と言われ、妻も私も出勤していた。
警察から連絡が入った。
「娘さんのことで…」
心臓が止まった。
きけば、一人待機していた娘は近くのスーパーにご迷惑をかけたとのこと。
ホッとした。同時に「悪いのは娘じゃない」と思った。
警察から引き取った娘にかけた言葉は「ごめんね、つらかったね、一緒にあやまりにいこうね」だった。
仕事? 生活? 家族? 何が大切なのか?
『今日、命を落とす』ということは、限りなく低い可能性の一つでしかないとは思う。
だけど命を落とすことはある。それが自分の家族の身におきるかもしれない。それは、5分後かもしれない。
自分の命だって、いつ終わるかは分からない。今この瞬間から死ぬまでの時間。もっともかけがえのないもの。大切にしたいと思う。
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