見出し画像

心が揺れる

お金って本当に不思議。


食欲や性欲、睡眠欲などの人間が生まれ持った欲求から人間が逃れられないのは分かる。その欲求がないと生物として終わってしまうからだ。

しかし、お金は大昔は無かったものだ。お金がなくなったとしても、生物は死ぬことはない。

お金は人間が勝手に作った価値観であり、そのお金を求めてほとんどの人間がお金中心の生活を送ってる。

生物には、本来、備わってない欲求なのに、人間はお金を欲しがり、人を騙し、時には人殺しまでする。

俺も世の中の拝金主義に毒されているから、もちろんお金はほしいし物欲もある。しかし、大金を持ったとしても俺の物欲はあっという間に満たされてしまうだろう。


なぜなら、お金を使うのにも人間関係が必要だからだ。


高い服を買ったり、高級な車を買ったり、美味しい高級レストランに行く。

これらの欲求を本当に満たすためには人間関係が必要だと思う。

人に良く思われたいから高い服を買い、女性にモテたいから高級なカッコいい車を買い、相手を喜ばせたいから一緒に高級レストランに行くのだと思う。

これらの経済活動を、たった1人で行なっても何も面白くないし、虚しさだけが募るはずだ。


俺には、お金を使って楽しむための人間関係がまったくない。


だから、大金を手に入れても、すぐに物欲が満たされてしまう可能性が大だ。


俺の心は煩悩にまみれているはずが、それを確認するための人間関係がない。今の俺は物欲にまみれ、人を憎み愛したり、良くも悪くも人間らしく生きてない。


しかし、こんな俺でも3年半ほど前はお金に翻弄され、お金の魅力に心揺れる毎日を送っていた時があった。

ちょっと前に書いたが、俺は本当に大事にしなければならない人を俺の怠慢により失った。

その人の日々の優しさ、日々の何気ない俺のためにしてくれてた行動、ただただ一緒に時間を過ごしてくれてた日々、これらを当たり前と思ってしまってた。

失った今だからこそ分かる。

大事な人の心は、毎日ちゃんと自分の言葉と行動で、相手の心を常に労るべきだった。


不満はないかい?


嫌なことはない?


体調は大丈夫?


無理はしてない?


何も正座して改まって毎日聞く必要はない。ライトな感じで毎日挨拶のように気にすればいい。聞いてくれるだけで解消する不安だってあるはずだ。

しかし、その当時の俺は相手が不満を言わないことを、不満がまったくないことだと勘違いしてしまい、相手の心が壊れるまで放置してしまった。

それによって俺は、

 
「あなたはもういらない」


この言葉を言われて、俺は切られた。

この経験があったからこそ、次に出会った人にはちゃんと日々の言葉を聞いて、相手の不満を解消しようと心に誓ったのだが……

何の因果か、次に出会った女性が不満を言いまくりの超ドSのモラハラ女性だった。

しかし、それでも、今度は相手の心を壊さないように、俺の出来ることは全てやろうと思ったのだが、俺の出来ることは相手のためにお金を使う事だった。


今の生活とは真逆のお金という欲望にまみれた生活の始まりだった。


相手の借金の全額返済から始まり、生活費の援助、新車の購入、本当に彼女の生活を助けたかったから、俺は自分が貯めていたお金を惜しみなく使ったのだが、厄介な事に彼女は俺からのお金の援助を最初は拒むのだ。しかし、それなのに自分が生活に困ってる姿を遠慮なく俺に見せる。だから「助けようか?」というと拒む。しかし「支払いどうしよう…」と嘆く。

こんなやり取りを夜中までして、俺はどうしようもないから家に帰ろうとすると、


「見捨てるんだね、じゃあ死ぬから…」


俺は慌てて彼女の家まで生活費を渡しに行ったりする。

ここまでに散々モラハラを受けて、さらに死をちらつかされて精神的に追い込まれる事も日常的にあり、俺は精神が限界に近いこともあって、俺は頭を下げて、


「お願いだから、お金を受け取って下さい…」


そう懇願した時があった。人にお金を借りるために頭を下げたのではない。人にお金を受け取ってもらうために俺は頭を下げたのだ。それなのに…


目の前で渡した8万円を道路に投げ捨てられた。


この時に人に対して今まで感じたことのない怒りが湧き上がったのを覚えてる。言葉に出せない感情だ。


結局はここまでしたら、相手はしょうがないなぁとお金を受け取ってくれる。こうやって「私は嫌がったのに、あなたが無理やり私にお金を渡した」という既成事実を作り上げていったのだと思う。


そう、俺がお金にまみれた期間は自分の欲望のためにお金を求めた期間ではなく、人にお金を渡すためにお金のことを毎日考えた期間だった。


こんな扱いを受けて、なんで我慢してたのか?とほとんどの人は思うだろうが「俺が必ず助ける!」と断言してしまったから、その約束をなんとか守ろうとしただけだ。


良い言い方をすれば、この女性は俺の言葉を信じたわけだ。だから、全体重をかけて俺を頼った。


俺は自分の言った言葉に責任を持とうとして、最後の方は本当に約束だけを守ろうとする日々だった。

人に言った言葉は相手の心に届いた時点で命を宿すと思う。

俺の言葉を信じて自分の全体重をかけて俺を頼ってる。言い方、やり方は乱暴かも知れないけど、俺の言葉を心の拠り所にしてたのかも知れない。


だから、この人を見捨てることは出来なかった。


この恋の結末は俺に人を助ける力がなかったから、俺が全財産を失って、逆に俺が切られて終わった。


しかし、やはりお金とは人に使ってこそのお金だと思う。


単純に考えれば、お金より人の心の方が間違いなく価値があるはずだ。


人のためにお金を使うから、お金を求めることに意味があるのに、お金のために人を裏切り、お金のために人を見捨てる人が多数いる。


今の俺はお金の魅力に心が揺れる日々ではなくなったが、かわりに人に必要とされない人生となった。


俺の欲望にまみれた心は、人と一緒にいないと現れない。


欲望にまみれた日々が懐かしい。


今より間違いなく人間らしい日々だった。


自分のためだけに生きる人生は悲しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?